「断絶があるよね、世代間の」
昼下がりの午後、谷戸の合間を縫って陽光が流れ込む。夏なので窓は2つとも開けっぱなしにしている。意外に、風が入り込んで気持ちがいい。
8月の水曜日。今年は暑いね、とここ何年か毎年言っている。まるで初めてその季節に遭遇したかのように。
平日営業をしていたが、今日も人は来なかった。窓側の席に座った高橋さんと、やすきはいつまでもしゃべっていた。時間は午後の2時をすぎた。
「断絶を、なんとかしなきゃいけない」
高橋さんは、この話題について話していた。世代間のコミュニケーションに、隔たりがあることを。
エデンの各店舗に顔を出している高橋さんは、自分と2回りは年代が違う20代の若者とよく接するそうだ。
やすきはエデン横浜にしか知らないが、高橋さんから東京の店舗の様子を聞いていた。どうも、横浜だけ違う雰囲気で、東京の店舗は若い人が多いらしい。
エデンに限らずだと思うが、例えば50代と20代の人が仕事以外の場で初めて会うとしたら、20代の方はひとつ、バリアを張ってしまうだろう。警戒とはまで行かないが、関わり方がわかないはずだ。見てきたものが違うから、話題の共通項が少ない。
今はインターネットがあるから、どんな少数派でも仲間ができやすい。とはいえ、ウンベルト=エーコの『記号論』について身近な誰かと話したい、となると探すのは困難だろう。探すのもめんどくさいし。記号の話をするのは相手もめんどくさいだろう。
高橋さんがよく行くエデンは、同世代に会うことは少ないだろう。それでも、高橋さんは、人に会い続けることをやめなかった。その過程で、世代間の断絶を感じていたのではないか。
hatis AOに足を運んでくれる人は40代以降の世代が多い。30代でも若いほうだし、20代のお客さんがくると驚いてしまう。20代の女性が来ると緊張してしまって、どう接すればいいかわからなくなるときがある。
そのためだけではないが、交流会を開こう、という話になった。hatis AOの集客もあるし、思いついたことはすべてやっていこう、と高橋さんは言ってくださった。
スミーさんのように、高橋さんの魂にも火がついていた。ノートを持ち運ぶようになり、行った場所のメモや、今後のスケジュールなど書き込んでいた。交流会までのやりとりも綿密に行われた。
ついに、今いっている幸浦の仕事に高橋さんを紹介して、いっしょに働くことになった。初めて働いた日の帰り道、金沢八景の駅の下のロータリーで2人で祝杯をあげた。上手い酒だった。
「俺は本来、エデンにいる人間じゃないのかもね」
と、唐突に高橋さんはおっしゃった。今日、派遣で働いた人たちは、エデンにいないような人たちで、自分はこっち側の人間だと。
やすきは、高橋さんが、その人から発する空気感を色濃く察知していることに気づいた。自分もなんとなくわかるが、高橋さんはその解像度が高いように感じた。やすきは基本、その時にしゃべりたいことをしゃべって台風のようにバーっと去ってしまうので、その場の空気を察すことには向いてなかった。
だから、エデンの中で自分しかないことがある、とも高橋さんは言った。そう語る時の目にはなんともいえない力強さがあった。この人は、大きな役割を果たすのではないだろうか、と隣でやすきは想った。缶ビールをそのまま飲み干した。今日、一緒に働いた同僚に、その場面を見られた。
越境
交流会当日。日程は平日だったが、思いの外に人が集まった。当初来る予定だった人が来れなくなったり、ということもあったが、入れ替わりでたくさんの人がきてくれた。当日の飛び込みも含め、総勢で15人ちかくの方に参加してもらった。
昼はhatis AOでランチをして、夜は横須賀中央〈酔月〉さんで飲み会。
〈中央酒場〉さんを予定していたが、予約がとれなかった。平日にも関わらず。
高橋さんはいの一番に来て、初めて来る人の案内の準備をしていた。車で来る方の駐車場の配慮も怠っていなかった。
ひゅごさんといわたさん夫妻は前日から軽井沢で結婚式の写真を撮って、そのまま車で横須賀のhatis AOに来たとのことだった。




みんなでスパイスカレーをたべ、お茶にした。各々、好きなような過ごしていた。
ナオキヨさんはすこし離れて和室で本を読んでいた。ケルト幻想文学の本だった。自分がいいと思って、横須賀の古書店で買い求めたものだった。
ある人はアサラトという、西アフリカの打楽器を打ち鳴らした。アサラトはやすきの珈琲の師匠がよく持ち歩いていたので、懐かしかった。テーブルを囲んで話し込む人たちもいた。
この日は、高橋さんがエデン系列の店で知り合った人に声をかけて、集まった人がほとんどだった。
併せて、hatis AOの常連さんも来てくれた。店を通して、地域で繋がった人たちだ。
エデンは根幹となったネットサロンがあるという。インターネットを介してつながって、エデンの各店舗で実際に会うのだという。
今日来た人の中には、インターネットをむしろ遠ざけて生きていた人もいた。いまでは少ないだろうが、そういう層もいるのだ。
前者と後者では人とのつながり方が違うが、邂逅しても違和感はなかった。初めて会ったが、互いの状況を明かして、深く話し合っていた。
ネットではなくて、近所から来た、という理由に驚いている人もいた。近所の人は、ネットで繋がって、遠い埼玉から横須賀から来るフットワークの軽さに驚いていた。
この2つの交わりに、やすきは新しい可能性を見た。ネットと地域、越境。
月に酔う
夕方。昼のみ参加する組は帰り、残ったメンバーは横須賀中央の〈酔月〉さんに集まった。夜から参加する方達とは店の前で合流した。
夜から合流した人の中には、埼玉から来た人もいた。もろこしさんだ。hatisの常連さんはそのフットワークの軽さに驚いていた。
〈めい鍼灸院〉のめいさんも途中から参加した。急遽、飛び込みで参加された方もおられた。
やすきはホッピーを飲んだ。市外から来た人は、初めてホッピーを見た人もいた。横須賀生まれ育ちのホッピーエリートが、ホッピーについて説明していた。内と外があること。グラスがキンキンに冷えていれば、氷はかならずしも必要でないこと。
飲み終わって、帰る人は帰り、6人が残った。残り組で、若松マーケットの〈ロッケくん〉に移動。常連さんに連れていってもらったが、一見では入りづらいお店で、2階にある店だった。入口にインターフォンがあり、常連さんが5〜6人入れるか聞いた。すこし待ってくれ、と返答があり、しばらくして入れ、と合図があったので、6人で階段をあがり、店に入った。

カウンターのみの店で、2人先客がいた。ご主人は作務衣を着ていた。
カウンターにはメニューが書かれていて、自家製と張り紙がある。ヨーグルトしらすが500y、ごましらすが400yとあった。ヨーグルトしらすとは一体、と思案に暮れる。

私は自家製漢方のお茶割(600y)を頼んだ。だが、ホッピーが効きすぎて、ほとんど飲めなかった。気持ちが悪くなって都合2回、外に出た。近くの駐車場でしばらく休んでいたが、元の店に戻れなかった。若松マーケットは入り組んだ迷宮のようで、道順がわからないのだ。



フィリピン人の女性たちに、「ダイジョウブ?」と声をかけられながら、なんとか店に戻った。まるで異次元に迷い込んだような体験だった。
2人の先客のうち、1人は私たちのグループが入店すると同時に気を遣って席を空けてもらった。申し訳ないことをした。
しばらくの間、わたしたちは〈ロッケくん〉で飲んでいた。まるで人生の果てにきたかのようだった。
そして、唐突に一日は終わった。
もろこしさんはこの会を越境と読んでいた。世代も、住んでいる場所も、生き方も、すべて通り越して交わることができた。
断絶が流行っている。必要なのは、対話。美味しいご飯とすこしのお酒があれば尚良し。
一方通行のSNSだけではなく、同じ空間で、目を合わせて、対話して、心を通じ合わせていきましょう。