「静岡の田舎に移住しようかと思ってるんですよね」。
相鉄線の和田町から、蒲田への移動中。高速道路に乗った3tトラックの中で、彼はそう語った。グレーのパーカーを着て、蹲るように助手席に座っていた。
高速道路から、立方体の住宅が地平を埋め尽くすかのように軒を連ねているのが見える。東京に近づけば近づくほど、巨大なマンションが現れてきた。都会の風景に近づいていく。寒空のハイウェイで、やすきたちを乗せたトラックはつつがなく進んでいた。
鷲鼻の、端正な顔立ち。それが仕事中であっても、彼は右耳のピアスを外さない。バンドマンなんですかと聞いたが、特になにも活動はやってないらしかった。引越しのアルバイトをしていて、今日は一緒だった。
1軒目の仕事を終えて、横浜から蒲田へ向かう道中。お互いに仕事の鎧を解いて、移動中に話をしていた。
彼は横浜生まれ育ちだが、庭で野菜を育てていたり、オーガニック嗜好の人だった。静岡の田舎でイタリアンのキュイジーヌをしている知人から、移住の誘いを受けている。
「ごみごみした都会はまじ生活むりっすよ」
病

師走の某日、エデン横浜。
スタッフのこまつさんの誕生日会だった。追浜の仕事を終えて、サウナを経由して向かった。
来ていたのは8号さん、高橋さんと、ゆうきくん。こまつさんも含めて、ほぼHot Chillin’のメンバー。ゆうきくんはひさしぶりに魂カレーを出していた。
来客の中、もうひとり、見知らぬ人がカウンターにいた。眼鏡をかけた男性で、ずっとスマホをいじっている。エデンでは知らない人とつながれる。やすきはその人に話しかけて、名前を聞いた。いっきゅうです、と答えてくれた。
いっきゅうのイントネーションから、『一休』という名前だと思ったが、Xのアカウントをお互いにフォロー交換し合うと、『一級』さんであると気づいた。
精神一級障害者手帳をお待ちで、そこから来ているとのことだった。一級ということは、将棋でいうと初段の手前で、実力派ですねということをやすきは言った。
しばらく話していたが、特段変わったことはなく、むしろユーモアもあって、話し上手な人だった。
一級さんは、躁鬱病を患っていた。
エデン横浜で、同じ病気の人に何人か出会った。話しても、みんなふつう。むしろ、純粋で、ユーモアがあり、優しい眼差しと誠実さを持つ人がほとんどだった。
躁鬱病について詳しくは知らないが、みんな口を揃えて言うには、心の波が激しいということだった。ふつうのときはふつうで、落ちる期間は長く、感情が昂る時もある。
神戸時代、先輩の小林勝行さんというラッパーがいた。原因はわからないが、ある日、躁鬱病になった。話が通じなくなって、人に手を出すようになり、大変だった。周りもどうしていいかわからず、哀しかった。
その後、小林さんは入院を経て、寛解した。セカンドアルバムは、その時の経験が主な題材になっている。
小林さんもまた、純粋で、おもしろかったし、こちらの心がすべて見透かされているのではないか、と思うくらい頭の回転が早い人だった。なにより、優しい人。
偽りの社会

一級さんの話を聞いてるうちに、今の世の中は純粋な人ほど病気になるのではないかと感じた。
一級さんの病気仲間で、バスジャックを試みた人がいるらしい。これから派遣の仕事に行くバスで、みんな沈痛な面持ちをしていてるを見て、みんな海にいこうぜ!とバスを止めようとしたらしい。
というエピソードを聞いたのだがらその人って、人を救おうと行動したのではないか。
追浜には朝、工場に仕事に行く人が列を成している。並んでいる人の顔はけっして明るくはない。割り切ってもいるだろうし、沈んでもいる。だが、やすきはそれを当たり前の光景として受け止めて、なにもしない。
岡山から神奈川に移住して、驚いたのは通勤の電車だった。あんな圧迫した狭い空間に閉じ込められて、ストレスを感じないわけがない。しかも、みんな取り憑かれたようにスマホをのぞきこんでいる。
見る人から見たら、異様なシチュエーションだ。少なくとも、岡山の田舎にはなかった。
東京圏に来て、こういう毎日が続いていたら、お給料はいいだろうけど、幸せとは別だろうなと考えた。
世の中の価値観がお金に偏りすぎていて、稼いでいる人しかスポットが当たらない。中には、言動も行動もどうかと思う人もいる。目つきも鈍く黒い。だが、そんな人を称えている。
別の引越しのバイトのとき、本が入った箱を運んでいた。プラスチックで、どんな本が入っているかがわかった。30冊ほどあったが、すべてビジネス書だった。それをみて、やすきは寂しい風が吹くのを感じた。感性は、お金の前に吹き飛んでしまうのだろうか。
「人は第一印象がすべて」と、表面だけしか見ず、内面を覗き込まない社会は、悲しい。
健康であろうとすると、社会に合わせて病気にならなければならない。健やかな魂を持つ人も、純粋さがゆえに、病気に罹ってしまう。
中学生のころから日本のヒップホップを聴いていて、社会が病気、というメタファーをよく見かけていた。マイクロフォン・ペイジャーの『病む街』という曲がそうだし、ムロ直系のニトロも東京が病んだ街という比喩は多用していた。
神奈川にきて、やっとその意味がわかり始めた。
病気であることが必ずしも悪いことではない。心の病気は、その人を守っているという見方もできるだろう。
個人ならそうかもしれないが、社会が病んでしまうと、いろんな立場があべこべになる。
自分らしくいること

この大きな病に対する処方箋のひとつは、自分の生き方を持つこと、ではないか。
病んだ社会にまともに生きようとすると、こちらまで病気にならなくてはいけなくなる。社会に振り回されずに、人間らしく生きようとすると、確固たる自分を持つこと。これはひとつ、たしかなことだ。
自分がはっきりすれば、より自分を好きになれる。
冒頭の引越しの彼のように、都会から地方に移住する若者がふえているのもわかる。人間関係も情報も過多で、神経がパンクしてしまいそうになる。
岡山で店をしていたとき、関東から岡山や鳥取に移住してくる人とよく知り合った。なぜわざわざ田舎にくるのだろう、と疑問だったが、理由が今ならわかる。人生の夾雑物をシャットアウトしたかったのだろう。
田舎にいけば必ずしも幸せになるとは限らない。けれども、移住をすると、自分のやりたいことをしわすくなる事が多い。
人間はみな、いずれ眠りにつく。しかも、いつその時がくるかはわからない。人生を見つめ直して、資本の大波に自分の本質が攫われぬようにするためには、落ち着いた環境にいるのもひとつの手だ。
hatis AOで谷戸会という集まりを、クロフネ3世さんの主催でやっている。みんなで材料を持ち寄って、鍋をして、飲んで、話すだけで楽しい。特別に大きいお金が必要でもない。
人間がたのしいとは、単純にそれだけなのだ。エデン横浜でこまつさんの誕生日にあつまって、ただ話すだけでもたのしい。100万円するワインも、1000万円もする宝石がその場に必要だろうか?
自分の心の声に深く耳を傾けて、理解し、行動していけば、人生の本質に近づける。それがお金稼ぎだけ、ということはまずないだろう。
やすきの亡くなった父も鬱病とパニック障害を抱えていた。難しい性格の人で、その裏に繊細さを持ち合わせていた。
やすきの父も毎日、薬を飲んでいた。躁鬱病の治療も、きっとそうなのでしょう。
健やかに、自分の人生を全うとするにはどうすればいいか。
各々、考えていきましょう。ひとつ答えがでたら、鍋でも囲んで、みんなで話しましょう。