湘南移住記 第224話 『休業の理由』

hatis AOをしばらく不定期営業にしていきます。その判断に至った理由。

イルなビートニックのように、比喩を用いるまでもありません。不定期営業にする理由は至極単純で、お金が必要だから。〈横須賀コーヒーフェス〉の準備資金の換算が出て、今のサイクルでは資金の捻出が難しいと判断しました。

〈横須賀コーヒーフェス〉だけではなく、店の改装のためにもお金が必要です。

これから週5,6営業をしていくにしろ、まとまった元手はいる。お金をつくるには、店を閉めて働かなければならない。いつか切らなければいけないであろう選択肢のカードを、心の片隅に置いていた。

hatis AOの現在の利益は薄い。赤字にはならない。つづけることはできる。だが、余剰の貯蓄までには至らない。

金土日の営業でも、すこし厳しかった。10月は集客はすくなったが、イベントや出店のおかげですこし利益が出た。11月はイベントのおかげもあり、客足がほんのすこし回復。土日も一波だけだけど、満席に近い時間帯が出るようになったり、東京など横須賀市外のお客さんが見えるようになった。

とはいえ。波がひとつさざめくだけで、ひまな時間帯も多い。一方で、金曜日に平日売上目標の1万円を超える日がぽつぽつと出てきたりもした。

全体的に店の集客が弱くなったので、イベントや出店に出たりとこの二ヶ月は動いてきたが、楽しかった。この3年間はしんどいことばかりだったが、ひさしぶりに楽しいと感じれる期間だった。やすきの本領はこちらだろうな、とわかった。やっと他人様のお役に立てそうなことを見いだせるかもしれない。

じぶんなりに

自分は野口さんのようになれない、とわかってから、自分なりのやり方を模索した。人と人をつなぐのが好きだから、イベントや出店に動く。積極的になれずにいた音楽にもふたたび関わるようになった。

次第に、街との関わりができてきた。津山で〈hatis 360°〉をやっていたときも、そういう感覚が徐々にひろがっていく実感があった。

横須賀は広い。一枚岩ではなく、各々でやっているから一概に街と括れない部分がある。しかし動いていて、その点と点をつなげていく必要は感じ始めた。点というのは、人であったり場所であったり。

エデンの存在も追い風になっている。ネットを媒介としたコミュニティであるエデンは、土地という縛りを越境した存在。そこに関わる人を、地域につなげていくと、おもしろい化学反応が起きていく。エデンの民はひとりひとりが際立った特性を持っていることが多い。その能力を発揮できずにいる人も多くいるから、場と機会さえ用意すれば、いくらでも良い作用が起きる。スミーさんと〈めい鍼灸院〉さんの動きであったり、〈MagYoko〉や〈Yonger Than Yestarday〉での出店。

加えて、移住者の存在。私が把握している限り、市街から横須賀へ移住している人は増えている。富士見町に限ると、なぜか東京から来た人が多くなってきた。店を開く人もいる。

これは言い続けれければいけないのだが、横須賀は環境的にとても優れている。だから東京の利便を手放してまでも生活した人がいるのだ。

横須賀にずっと住み続けている人は当たり前だからわからないだろうが、よそ者だから俯瞰してわかる。実感としてある。だから言える。横須賀の良さをどう言語化して伝えていくのも、やすきのミッション。

もらいもの

店を不定期営業すると決めて、眠れない夜があった。寝ようとしても、頭に考えが渦巻いて、何分かおきに起き上がる。不安ばかりが膨らんで、はちきれそうになる。迷妄とはよくいったもの。

以前にもこういうことがあったと記憶を掘り起した。大学受験前の不安や、津山の〈hatis 360°〉を閉めた時もそうだった。肚では大丈夫、と言い聞かせているものの、思考の台風が鳴り止まず、まいった、という状態。

寝室から飛び出て、店の客室の明かりをつけた。時計の針は、夜の2時をまわっていただろうか。丑三つ時の谷戸は、いつもより静まり返っていた気がした。幾分か、頭の中に凪が訪れた。やすきは改めて店を見回した。

そこには、軌跡のひとつひとつが落ちていた。プレオープン記念にもらったアロエ。椅子。額縁。描いてもらった絵。机。この座布団もそう。たくさんの本。カトラリー。皿。20人分は仕込むことにできる圧力鍋。30人分以上に使うときの寸胴。おたま数種。作ってもらった机や台。みんなもらったものだった。買ったものもあるし、解体現場などで拾ってきたものある。

夜のテーブルの上。ひとつだけ灯した照明の下で、やすきは感慨に耽っていた。ふと、このブログの湘南移住記を見返した。前の店を閉めてからつけ始めたので、もう三年も経ったことななる。三年もの間、たくさんのことが突き抜けていった。ああ、店を開くためにこういうことをしてきたんだな、と思い返しながら読んでいた。

二週間前、実家の母から連絡があって、ある親族が亡くなったという報告を受けた。その人物は、〈hatis 360°〉を閉めるきっかけになった遺産相続問題の中心人物だった。湘南移住記を書き始めたきっかけとも言える。横須賀でできたみなさんとも縁を作り出した人とも言えるだろうか。

電話を受けたのは、久里浜の公園で、寒空に紅葉と枯枝がのぞいていた。白いベンチに座りながら、話を聞いた。その日、火葬場で亡骸を焼くということだった。雲ひとつない真っさらな青空だった。心のざらつきを、その青色が吹き飛ばしてくれたようだった。

憎しみもあったが、電話を受けたとき、その人物のことを忘れていたことに気づいた。それくらい、この3年、目の前のことに夢中だった。この状況をなんとかしなければ。それだけで動きつづけた。余裕がなかったとも言える。

元パートナーも、hatis AOのこの物件にまで、導いてくれたんじゃないか。そう、誰かに言われた。

人間は不思議なもので、憎しみや悲しみも忘れることができる。許すことを覚える。

年末某日、夜の2時半。やすきは、この店に生かされていることを知った。数多くの手に、自分の背中は支えられている。〈hatis AO〉が自分のものだけではなくなってきている。

感謝を還元するために、自分にしかできない働きがある。1年前のいまごろはほとんどお客さんがいなかったが、今は常連さんたちに「平日も営業できるようにならないとね」と言ってもらえるようになった。大きい進歩。

生きる糧になっていたから、不定期営業とはいえ、しばらく閉めるから、落ちていたのか。落ちるというか、エネルギーが萎んだ感触がある。あんなに溢れ出ていた気力がなくなってしまっていた。

しかし、今まで中途半端だった。珈琲も疎かになっていたし、店自体も毎週開けることに必死で、納得いってはいなかった。それは誠意ではないよなあ。

そういう意味で、リセットでもある。

Akiさんに、身の回りを整理整頓すると、運気が上がって、ライブの本数が増えた、と聞いた。

やすきも、同じことをすることにした。丸2日間、座禅を組んで、店の整理と掃除をし始めた。掃除をやり始めると、気持ちいし楽しい。広いので、一日二日では終わらないことにも気づいた。

〈Yonger Than Yesterday〉のオーナーの佐々木滋さんのライブを見た。「店を開くとき、道楽だろうと、散々に叩かれた。しかもアメリカの911があった。店を始めて5年たつと、がんが見つかり、胃を全摘出した。10年目には、東北の大震災があった。20年目にはコロナがあった」と語っていた。節目節目に、大きな事件があったのだという。

たかだか店を開いて1年で、1、2ヶ月閉めるなんてどうってないことだ。そう、先は長い。深い。言葉にならないくらい。