「伝説の生誕祭と検索してもらえれば…」
Hot Chillin’での一幕。高橋さんがその日初めて会った人(おそらく横須賀の人)にXのアカウントを交換していた。検索するのが伝説、というパワーワードで、横にいたちゃんべさんがその様子をみてウケていた。
伝説の男。高橋政志。
なぜそう呼ばれるようになったか。所以を知るところではないが、伝説の男と出会ってから、もう一年以上になる。しかも、経験の度合で言うと、濃密な一年だった。
その男、伝説につき

横須賀にも同じ苗字の高橋さんがいるので、敬愛も込めてここではマサさんと表記させてもらおう。
一年前、Xで珈琲に塩を入れるというやりとりを見かけた。〈No.13〉の野口さんとおりえさんの交信だった。それが気になって、1人でエデン横浜のイベントに出かけた。
今思うと、エデンもスラムもプロおごも何も知らずに(いまもよくわかってないのだが)行ったので、エデン横浜にとってイレギュラーな存在だったのだろう。いまだに、マサさんに「あの人ヤバいよねときりさんと話したよ、ガッハッハ」とよく言われる。
同席した人にあなたはウイスキー藤村ですか、と聞かれた。冗談だと思って、バーボン中山です、と答えたのだが、ウイスキー藤村は実在するらしい。
いまだにエデンでだれが有名で、そうでないのか、わからない。それどころかエデンの概要すらつかめていない。
一度、理解しようと努めたものの、途中でめんどくさくなった。いま、やすきに関わってくれる人は、エデンを飛び越えて人として関わってくれているから、まあいいか。
席に着かせてもらって、塩とジンが入っただがの珈琲カクテルを飲ませてもらった。おりえさんはその場で手網の焙煎をしていた。
同席した横一列カウンターのに、伝説の男、マサさんが座っていた。何の話をしたのか、よく覚えていない。キタタクさんもいたはずで、どちらかというと、キタタクさんの方が印象に残っているくらいだ。
マサさんは、その次の週、hatisに来てくれた。その行動が、のちのエデンと横須賀のホットラインを築く重要な連結となることとは知らずに。
その頃は店に1日に1人来てくればいいほうだったので、マサさんの来客はありがたかった。
その頃はスパイスをバチバチに効かせていたので、スパイスカレーを食べたあと、マサさんはガンギマっていたらしい。くわえて、やすきの話す熱が高すぎて、疲れたと言っていた。
そこから、やすきは人と話すときはテンションの調節するようにした。
マサさんは〈No.13〉にも通うようになった。足繁く、横須賀に来ては、〈hatis AO〉と〈No.13〉を往復した。
たびたび横須賀に訪れていたことが、エデンと横須賀をつないでいく。
スミーさんが〈めい鍼灸院〉さんで紅茶のイベントを開いたり、〈横須賀コーヒーフェス〉を開いたりするのは、間違いなくマサさんの動きからだ。
人と会うことをつづける。
マサさんの行動理念。
〈hatis AO〉と〈エデン横浜〉はオープンが同時期だった。この1年は店のスタイルを模索する日々だったから、繋ぎ役になってもらっていた。
マサさんもしだいに行動範囲が広がっていく。横須賀方面にも顔ができてたし、エデンの東京方面にも顔を出すようになった。名古屋にも出かけたそうだ。
「だれそれとつながったんだよ」
嬉しそうにマサさんは話してくれていた。やすきは、自身と同じで、この人は出会うことが喜びなんだ、と聞いていた。
人と出会うことを続ける

ある日、マサさんはそうXにポストした。この言葉の出所はどこなのだろうと考える。人との出会いを大切にしているからこそ、出てくる言葉。
やすきはマサさんとなにかしたい、と思うようになった。
〈Hot Chillin’〉の1回目を企画したとき、マサさんは動いてくれて、人を集めてくれた。おかげでパーティーは成功した。
派遣の仕事に誘って、いっしょに働いたりもした。
マサさんの仕事を見ていると、働き者ということがよくわかる。職場の同世代の人と比較しても、よく働く人だった。前の会社でよっぽど無理をしたのだろう。それに、タフだ。前日に東京のエデンに出かけいても、なんなく当日は仕事をしている。マサさんは人と会えば会うほど、元気になる。やすきも人と会うのが好きだが、どうしても疲れてしまう。
hatisでイベントも開催してくれた。店でよく食事をしてもらっているのだが、焚火をして、たのしかった。
しまいには、野口さんと〈横須賀コーヒーフェス〉と企画して、1000人の動員を目指している。
もはや、マサさんの動きは、しらずしらず、大きな経済効果にまで及ぼうとしている。
横須賀コーヒーフェスで動いていて、印象的な場面がひとつある。マサさんがコーヒーフェスを知らないので、渋谷のコーヒーフェスにわざわざ出向いて、その足で横須賀のhatisにきたとき、こう言った。
「コーヒーのことはわからないが、コーヒーフェスに来ていた人の顔がみな幸せだった。だから、やろう」。
ああ。こういう感性を持っているから、マサさんの元には人が集まるのか。
この人はすごい存在なのではないか。そう感じるようになってきた。すくなくとも、その言葉にやすきの心は動いた。
マサさんがなにかする、明確に目標が定まったとき、多くの人が動くだろう。
「俺がエデンで出来ることはあると思うんだよね」。
一緒に働いた日、金沢八景駅前でビールを飲みながら話していて、マサさんはそう言った。
伝説生誕祭。
数多くの人が集まっていた。エデン横浜がパンパンになるくらいだった。来ている人もいい空気の人ばかりで、ポジティブなバイブスが流れていた。
マサさんの人間力の高さが、この場をつくり、多くの人を動員させている。
何の取り柄もない人がこんなことできないですよ、マサさん。
ちかごろは横須賀でも名が知れてきて、マサさんに会ったことがないお客さんでも、「高橋さんってあの人ですよね」、と言うようになった。
このまま〈横須賀コーヒーフェス〉をやり切って、その後もなにか動くだろうから、有名人になっていくのではないか。
55歳の誕生日おめでとうございます、マサさん。でもきっと、マサさんの人生の本番はここからですよ。この動きを続けていれば、大きく花開く。伝説のはじまりです。