スミーさん主催のイベント、「Unpacking Within」がhatis AOで開催された。準備期間を含めると、2〜3ヶ月にも及ぶプロジェクトになった。
今回、書きたいことは決まっている。スミーさんの変化についてだ。経過を含めて、スミーさんにとって、大きなストーリーに発展していった。これからそれを書き記していく。
スミーさんは変わった。この2、3ヶ月というものの、行動を共にしていて、まるで一編の映画に相当するような、劇的な変化だった。
いたるまで

やすきとスミーさんはいつ出会ったのだろう。覚えていない。思い出せない。出会いの場面を思い出せない人とは、縁が長くつづく、というのがやすきが持っている定説だった。
高橋さんが、エデン横浜で集客の多いイベントはスミーさんなんだよ、と教えてくれたことは覚えている。
エデン横浜で紅茶を出している人で、よく人を集めているのか、という事前の情報があって、なにかの折、ついに出会った。
第一印象はピンと張った硝子の水面のような、緊張感があった。これは、スミーさんに限らず、エデン横浜で出会う人の共通の特徴と言える。
その後、エデン横浜で何回かお会いして、話しているはずだ。
私がエデン横浜で主催したHot Chillin’にも急遽参加してもらうことになり、ゆうきくんとチャイをつくっていた。
スミーさんが小田原から金沢八景に越してきて以来、hatis AOによく訪れてくれるようになった。店で、なにかやりましょう、話していた。盛夏のやや涼しい頃。
始めは、紅茶でコラボする、という予定だったが、途中からストレングスファインダーを使うイベントにすることにした。
9月。hatis AOに打ち合わせで来店した際、佐野町の〈めい鍼灸院〉の鳥山さんと同席して、まだオープン前だった〈めい鍼灸院〉を2人で訪れた。
お茶を囲んで話して行く内に、スミーさんが紅茶で出店することが決まった。ほかにも、こども向けのプログラミング教室はどうか、という話にもなった。とんとん拍子に事が進んで行った。
〈めい鍼灸院〉での話がきまって、そのまま〈No.13〉まで足を伸ばした。
スミーさんの展望についてのこれからの話になった。スミーさんは熱く語っていた。同席したお客さんも巻き込んでいた。その時、やすきはスミーさんの内側にある灯火を見た。野口さんの信念に負けないくらい、スミーさんの想いは強かった。
衣笠駅まで歩きながら、スミーさんの生まれ育った環境について話を聞いた。
夕方の5時を回っていて、哀しげな夕日が衣笠駅のホームに差し込んでいた。錆びた青いベンチに影が差している。待てども待てども列車は来なかった。その間、スミーさんの口から、想いがとめどなく溢れた。やすきは想いを受け止めたくて、耳をそばだてる。人生に触れる。
論理的な印象だった。だが、この時のスミーさんから零れ落ちる言葉は、たしかに、熱を帯びていた。
ストレングスファインダーはあくまでも手法で、スミーさんの心は、だれかの想いを受け取り、交換し、教えると、いうことを望んでいた。
望みの出所が自分と似ている、ということにやすきは気づいた。だから行動を共にしているのか。
衣笠から横須賀駅まで出て、汐入駅で乗り換えて、その日は別れた。
それから数週間経ち、Twitterでスミーさんから連絡がきた。イベントの名前を「Unpacking Within」にするという旨だった。コンセプトが、荷を下ろす、ということに定まり、イベントの大枠が決まった。
イベントのフライヤーの画像を作って欲しい、とやすきは依頼を受けた。やすきがつかっているAIジェネレーターのmidjourneyの指定も受けた。
去年夏にver.3がリリースされた1年midjourneyはver.5まで開発が進み、驚くほどのスピードで進化を遂げていた。
やすきは興味本位からつかいはじめ、ブログのパーツづくりや店の宣伝のために画像を生成していた。半分、遊びのような楽しみもあった。
だれかのために、しかもお店のイベントで、というのは意外だった。
鳥山さんと同席した人の中にAIの仕事をしている人もいて、今回のイベントにはAIとの縁があるようだった。
やすきはひとつのイメージをスミーさんに投げた。

スミーさんはこれをいいと言ってくれたが、別のイメージも提案はして欲しいと返してきた。
やすきは、自分のイメージを優先するあまり、スミーさんの想いを汲んでないことに気づいた。あの日、衣笠駅でスミーさんの想いを聞いた自分しかできないことだった。
責任をもって、スミーさんのイメージに近づいて行くことにした。
旅人が焚火を囲んで語り合う、というのがスミーさんのイメージだった。

AIジェネレーターの生成は星の流れより速い。イメージの束をスミーさんに投げた。
高速でやりとりする。初めての作業で、くらくらするような快感が伴った。
スミーさんのイメージに近い画像が出来て、フライヤーに採用になった。今度はスミーさんが言葉をのせて打ち返してきた。いくつかのパターンが提案が来た。
ひとついいものがあったのだが、気になった部分があった。文章の最後に「占う」とついていたことだ。ストレングスファインダーはきっかけにすぎないと話し合ったのだが、初回だし、占いと混同されないように、その言葉は削ってもらうことにした。
ようやく、完成のバージョンのフライヤーができた。
コンセプトは、「荷を下ろす」。来てくれた方の、重荷を分かち合うこと。それがスミーさんの願いだった。
数日後。福浦の仕事帰りに追浜で打ち合わせをすることにした。
以前、追浜のナチュールワインバー〈LuLu〉を2人で訪れて、店主のまるもさんと繋がることができた。スミーさんはまるもさんが選んだナチュールワインに崩れるくらいの衝撃を受けていた。


2回目の追浜だった。〈みんなのからあげ〉という、ごはんとお味噌汁とのりたまふりかけがおかわり自由な店に行って、〈安井商店〉の角打ちで飲みながら打ち合わせをした。

この日のスミーさんはイベントの日が近づいてきて、姿勢が前のめりにもなっているようだった。からあげ定食を食べながら問い詰められているようにも感じ、緊張感があった。
〈安井商店〉で、店の中央の席に立ち、一杯350円だかの日本酒を飲みながら、語り合った。工場労働者に囲まれ、展望を語るスミーさんの姿は、物語の主人公のように映った。まるで世界の真実を知り、行動をするナウシカのようだった。

帰り道、追浜駅までスミーさんは送ってくれた。別れ際、スミーさんは「やすきさん、僕の熱量はこんなものではないですから」と言って、自転車で帰っていった。
前のめりになっているのではなかった。内に燃えていた火焔が、ついに外に放たれたのだ。スミーさんの両の眼に火が灯っていた。
それから数日。
スミーさんはhatis AOに打ち合わせに来た。ランチを食べ終え、常連さんと話し込んだ。
くわしくは書けないが、ある話題からスミーさんの深く内面に関わる話題が出た。その前日、下北沢でみたラッパーのレイトくんも同じサブジェクトの曲を歌っていた。
hatisの窓からやわらかな午後の光が差し込んでで、スミーさんの席まで降り注いでいた。ああ、スミーさんが、荷を下ろしたかったのだ。やすきは隣にいて、そう見えた。そしてこの時、下ろすことができた。逆行を浴びて、常連さんはやさしく微笑んでいた。
この日以降、スミーさんは人が変わったようだった。張り詰めた緊張感もなくなり、やわらかくなった。
「Unpacking Within」は、いい結果に終わった。来てくれたお客さんのおかげで、この日を迎えることができた。ありがとうございます。
イベントを終えてから、スミーさんは、あまりhatis AOに来なくなった。代わりに、横須賀のいろんな場所を周っている。なぜだか、横須賀と縁があるようで、街としての関わりが増えてきているようだ。
Xでストレングスファインダーの取組を、毎日、地道に続けている。発する言葉も明るくなった。
Xでしているスミーさんのラジオを聴いたのだが、余談がおもしろい。意識の話をしていた。余談でラジオを構成してほしいくらいだ。そう、スミーさんさんはおもしろい人なのだ。それも新しい発見だった。
お店として、人一人の変化に付き添うことができた。望外の喜びである。
スミーさんは、新しい物語に向けて歩み始めた。これからのスミーさんの動きに注目してください。
