湘南移住記 第221話 『幾何学運命』

ある日曜。

店を営業する予定だったが、事情で店を休むことにした。本当は開けたかった。

本来なら、お客さんが多い少ないに関わらず来てくださるのだから、店は開け続けなければいけない。

しかも、入っていた仕事がキャンセルになった。あたらしい日雇いアプリを導入したが、2週間で4回、キャンセルがあった。予定を確保しておいて、1日前に断わられる、ということもザラにあった。一応、謝りの連絡はくるのだが、そりゃないよと正直思う。タイミーというアプリにはそういうことはないのだが。

仕方ないので、横須賀中央まで歩くことにした。このところほとんど横浜方面に出ずっぱりだったので、ひさしぶりに横須賀を歩く。透き通るように晴れて、皮膚に突き刺さるような日差しも落ち着き、ファミマのアイスコーヒーをのみながら、安浦の路地裏を歩いた。

米が浜通に到りつくと、白い壁の店が目の端に映った。何度も通っているはずなのに、初めて目にしたようだった。見慣れない看板がそこにはあった。なんと、カレーと書かれているではないか。本日はヴィンダルー(酸味のあるカレーのこと)を出しているとある。

新しくスパイスカレー屋さんが出来ていたのか、一にも二にも迷いなく、足が入店を選んでいた。

店内は、BARのようだった。今日の空の様に、明るい雰囲気がある。カウンターと、テーブル席がいくつか。一組、先客がいた。カウンターには中南米を思わせらタイルが飾られてあった。私はカウンターの端の席についた。

店主さんは男性だった。私はヴィンダルーを頼んだ。店主さんに話しかけようとすると、テーブル席に着いていた先客に話しかけられた。hatisの常連さんだった。

このお店についていろいろ聞いた。

このカレー屋さんは『ガヴィカレー』さんと言って、日曜日だけBARを間借りして営業しているとのことだった。hatisが1年前にオープンする1ヶ月前に開いていたらしい。ガヴィカレーの店主さんはhatisのことを知らなかった。

同じ街でカレーをやっていたのに、なぜ1年間もお互いに気づかなかったというと、営業日がかぶっていたからだ。hatisもほとんど土日営業だけだったし、ガヴィカレーさんも週末だけだった。

しかも、店主さんは同い年で、双子座だった。私と同じ風星座。なにやら、運命めいたものを感じた。

ヴィンダルーポーク

カレーが出てきた。私は食すことにした。

豚肉の塊が入ったカレーに、牛蒡、ヤングゴーンのアチャール、ポテトサラダ。ターメリックライスにはナッツが入っていて、旨味と食感を演出している。

固い食感の素材を多用することによって、小刻みに食べるリズムを作っていた。音楽に例えると、パーカッションでリズムの手数を増やす、ということに似ている。

気がつくと、私の隣に女性客が座っていた。店主さんのお母さんらしく、話を聞くと、私が住んでいた神戸にも縁があり、父方のルーツが私の地元の岡山ということだった。

どんだけ偶然重なんねん、というか、ここまでくるとむしろ出会うのが必然だ。横須賀でスパイスカレーをやっている人は少ないから、同志のようなものだ。何かの拍子で出会えたのだ。

マラカスを振って

夜。

友達のコーキと会う約束をしていた。コーキはMUDDYSIC’Sというバンドのギターボーカルをしている。去年、hatis AOを開く前にしていた仕事で知り合った。その職場ではよく飲みに行ったが、コーキとは特によく話した。お互いに人生で辛かったことも打ち明けあった。下北沢までライブも2回は観に行った。

hatis AOが開いてからはあまり会っていなかったのだが、それまでの仮住まいから、世界一周ソムリエのガーミーがすんでいた部屋を受け継いで、コーキはついに東京から横須賀に移住した。

横須賀でバンド活動がやりたい、と話していて、私もHot Chillin’をやっているから、場所を探っていこうということになった。

hatis AOから歩いて10分ほどのところに〈MagYoko〉というミュージックバーができて、日曜日にオープンマイクをしているようだから、2人でいこうと約束した。

私が〈MagYoko〉の存在を知らせるツイートしたところ、吉崎さんという方がhatisに〈MagYoko〉のフライヤーを持ってきてくれた。

吉崎さんは音楽と女優の活動をされている方で、〈MagYoko〉のオープンマイクてライブをしていた。動画を見せてくれた。

ほんならライブできるやん、と思い出してコーキに伝えたのだ。

18時に集合予定だったが、コーキの仕事が押して、19時になった。県立大学駅で落ち合う手筈だったが、コーキの姿はない。メールを送ると、ファミマでファミチキ食ってるからちょっお待って、と返信がきた。私は、外でUFOを見張っていると返した。私は本当に夜空を見上げていたが、残念ながらUFOが出現することはなかった。それどころか、星も出ていない。日曜日なのに、県立大学駅は多くの人が行き交う。

ファミチキを食べ終えたコーキと、どうみき坂をのぼって、〈MagYoko〉に向かった。店に着くと、明かりが灯っていたので、中に入った。

中に入ると、カウンター席とテーブルがあった。〈ガヴィカレー〉さんに似た店内構成だった。カウンターに、黒人の男性がいた。店に入った私たちに気づく様子がない。近づくと、ヘッドホンをして眠りについていた。

すいません、と声を掛けると、男性はゆっくり目を開いて、私たちを認識した。そう、来客なのです。

ヘッドホンを外し、黒人の男性は英語で語りかけてきた。私は岡山にいた時分、ゲストハウスで英語でコミュニケーションをとっていたことを思い出し、なんとか解釈することにした。どうやらカウンター先に促されてるようだ。

2人とも席に着いた。男性は、英語で注文なんにする?と問いかけてきたようだった。日本語で書いてあるメニューがあったので、メニューを見た。コーキは日本語で、

「梅サワー」。

と注文した。黒人の男性は頷いて、梅サワーを準備し始めた。私も同じものを頼んだ。梅サワーって言葉は、通じるんだなと思った。梅サワーにあたるものが外国にもあるのだろうか。

男性とコーキと私は、英語でコミュニケーションを取っていた。3人の共通言語は、音楽だった。コーキは自分のライブ映像を男性に見せた。男性はその映像を観ていた。幾千の言葉を重ねるより、音のほうがその人を理解してもらうのに1発じゃなかろうか。音楽はテレパシーのように思えた。

男性は、私は日本の音楽が好きだ。山下達郎がいい。彼はオリジナルなスタイルを確立している。おそらくそういうような意味の言葉を英語で話した。横で梅サワーを飲んでいるコーキに翻訳して伝えた。

私は、アメリカのソウルミュージシャンは誰が好きかと英語で聞いた。伝わりにくかったようで、アメリカンソウルミュージック・アーティスト?と言い換えようとすると、男性は突然、日本語で話し出した。私は日本語が話せるんかい、と思った。

そのタイミングで、店の入り口横にある階段から日本人の女性が降りてきた。店の方のようで、名刺をいただいた。古川さんというお名前だった。私はhatis AOという富士見町のスパイスカレー屋をやっていて、吉崎さんがこのお店のフライヤーを持ってきてくれたんです、と言うと、ああ、と話が通じていた。

やっとオープンマイクのことを聞けた。日曜日は日曜日なのだが、第3日曜日だけということだった。

〈MagYoko〉でライブができないか、と相談すると、コーキのアコースティックのソロライブをハロウィンにしようかとことで話が進んだ。

2階も見せてもらった。デザイナーさんが設計した、アーティスティックなつくりで、素晴らしい空間だった。

「ここでライブやってもいいよね」

と、コーキも気に入ったようだった。

古川さんは、FMブルー湘南のパーソナリティをしている灯織のことも知っていた。灯織さんとはイベントの打ち合わせで2日後に会う予定だった。

古川さん自身も音楽をやっていた。介護施設などを周って演奏しているらしい。先程の黒人の男性は、元空軍のパイロットで、音楽好きということだった。

ギターと、小さなアンプと、カラオケのマイクがあったので、コーキにちょっとやってよ、と頼んだ。んーと言いながらコーキは準備を始めて、何曲かうたってくれた。

持ち曲を3曲ほどやって、その場にカホンとマラカスとシンセサイザーがあったので、唐突に3人のセッションが始まった。

私は打ち込みで音楽を作ってきたので、楽器を演奏したことはなかったのだが、マラカスを手にした。コーキのギターにのせて、その空間にでハットを配置する感覚でマラカスを振った。次第に、セッションなようなことができていた。

私は、とにかく懸命にマラカスを振った。オカズ的なことができないので、終始リズムキープをしていた。だが、途中から集中と共に高揚感が湧いてきて、ストリームの中に入った。これが演奏の快楽か、と感じた。

はて、マラカス…。今日、どこかで見た気がする。そうだ、思い出した、〈ガヴィカレー〉さんのカウンターにもマラカスが置いてあった。

偶然が幾何学的に重なり合って、縁を紡いでいくのが見えた。