湘南移住記 第221話 『熱を帯びて』

土曜日。開店。

8月半ばから1ヶ月間、日曜日のみの営業とアナウンスしていたが、クロフネ3世さん企画の目的もなく集まる会を夜に開催するので、昼も開けることにした。集客は期待していなくて、実際その通りだった。

週1営業にすると、お客さんがほとんど来られなくなった。いっそ閉めてたほうがいいかと思案する。

だが、スパイスカレーはつくりつづけないといけない。日が空くと、進歩が緩んでしまう。

三浦産のビーツをつくったスパイスカレーをつくった。火曜日にあった〈玉姉妹〉さんと〈GARAKUDO〉さんとのコラボでビーツを副菜につかったとき、カレーそのものにビーツ練り込む、というアイデアが浮かんだ。

ビーツをスープにすると、茜色の美しい色合いが出る。あいがけにして、ターメリックの配分を多くして黄色のカレーを合わせれば、美しい一皿ができるのではないかと発想した。

つくったものの、お客さんは来られないので、虚しく外の日差しを眺めていた。縁側から庭にかけて、陰影が強く落ちている。もう夏も終わる。秋の気配が、仄かに近づき初めていた。蝉は生きた証明の残骸を残すかのように鳴いていた。

キタタクさん

夕方。キタタクさんが来店。七輪をAmazonで注文してくださって、店で受け取る手筈だったのだが、システムの手違いがあって受け取れず。来る予定だった3名も直前にキャンセルになり、一時はどうなるかと思った。

発起人のクロフネ3世さんが来店。横須賀中央の自販機で売っているソーセージを持ってきてくれた。カセットコンロとフライパンで代用することに。

クロフネ3世さんが持ってきたカードゲームで遊んでいると、常連さんお二人が来てくれた。続いて、クロフネさんが声をかけた上町のギャラリーで働いている写真家の方もご来店。お酒も持参だった。

店のお酒がなくなったので、京急ストアに買い出しに行き、夜11時前まで会話を楽しんだ。

キタタクさん以外は横須賀の在住の方ばかりだったので、横須賀がどうすればよくなるか、話した。空き家問題や、アートをどう活用すればいいかなど。秦野市在住のキタタクさんに、意見を求める場面もあった。

津山の〈hatis 360°〉でお客さんと話しあったことだった。他のカフェのオーナーさんや街の社長さんたちと津山がどうすればよくなるか、散々ぱら話し合った。その街で暮らしている人は、その街に熱い気持ちを抱いている場合が多い。地元かどうか関わらず。

結婚の話もした。現代ではいろんな形の結婚があるということ。

夜11時で解散して、県立大学駅まで見送る。ファミマでクーリッシュを買い、やすきはキタタクをうみかぜ公園へ案内した。キタタクさんが海を見たそうだったからだ。

夜の平成町のマンションのあいだをすり抜けていく。この辺りは夜でも明るい。富士見町と比べて、圧倒的な光量だった。平成以前、ここら一体は海だった、という話をお客さんからよく聞く。

うみかぜ公園。暗い。燈がほとんどない。真っ黒い海に、猿島が行き場を失った鯨のようにぽつんと浮かんでいた。

左側の対岸には米海軍基地からの眩い光が並んでいた。大きな船が、ゆっくりと、猿島方面にむかって進んでいく。

キタタクさんとベンチで並んで、話し合った。やすきはキタタクさんの核に触れたかった。キタタクさんの人生に触れたかった。

キタタクさんも仕事面で変わり目で、やすきもまた同じくだった。人生について、お互いに真剣に話し合った。

話している最中、猿島から発光する飛行物体をやすきは見た。あまりにふよふよ飛んでいるので、

「あれ、UFOじゃないですか」

とやすきは推察した。

「違うよ。飛行機だよ。よく見なよ」

とキタタクさんは冷静に訂正した。たしかに、よく見るとUFOではなく、飛行機だった。

キタタクさんはhatis AOに泊まり、横須賀で夜を明かした。

日曜日

翌日の朝。昨日の残りの塩漬け豚とシーフードをチャーハンにして2人で食べた。窓側の席に座った。

厨房から料理を運ぶ際、キタタクさんが谷戸の風景に見惚れているのを見た。朝のhatis AOの空気は澄んでいる。その見惚れ様は、神聖さを帯びていた。

食後、色種というお茶に、クローブとカルダモンを合わせて淹れた。私たちは、谷戸の景色を挟んで、まだ語り合っていた。

やすきは、Luiz Bonfaの『Introspection』というアルバムをかけた。hatis 360°の営業前、朝の準備中によく聴いていた。遥か遠くで鳴っている音が、静かに胸に沈んでいくようなアルバムだった。

これはどういう音楽なの、とキタタクさんは訊いてくれた。ブラジルの音楽です、とやすきは応えた。サウダージのことも話した。郷愁、について。

9時前になって、佐野町にある銭湯、〈のぼり雲〉にでかけた。サウナに誘おうとしたが、キタタクさんは心臓に負担がかかるため入れなかった。

銭湯のあと、やすきは店の準備があるので、キタタクさんと別れた。キタタクさんは安浦港にむかった。

ところが、別れた後にキタタクさんから電話がかかってきた。昨日の七輪の受け取りについて連絡だった。一応見に行く、ということで店に戻ってきた。

七輪の受け取りの確認をして、キタタクさんは再び旅立ったのだが、七輪の写真を撮りたい、とまた戻ってきた。計3回くらい出ては戻ってくる、を繰り返して、本当に安浦港に旅立って行った。

hatis AOを訪れ、キタタクさんはなにか変わったようだった。私と話したことより、谷戸の風景がキタタクさんの心に作用したように私は思えた。いや、紡いだ言葉に、谷戸の静けさが乗っかっていたのか。

第二ラウンド

日曜営業開始。今日もお客さんはこないだろうと高を括っていたが、意外と来客があった。

Twitterで予告していたスミーさんが10人目にきたので、完売終了した。1時半くらいに出し終わったので、仕込みの量をいつもくらいにしていれば、もう少し出ていたはずだった。こういう予想はなかなか当たらない。

お客さんさんの中に、先程行った佐野町で鍼灸院兼コミュニティスペースを開業されようとしている方が来られた。私はスミーさんに話して、出向いてみることにした。

のぼり雲のちかくにコミュニティスペースはあった。中はまだ改装途中だった。作りかけの椅子、カウンター。左手の壁一面に、本棚ができている。作りかけの様子は、開業前のhatis AOを思い起こさせた。

オーナーさんとスミーさんと話し合って、この場所で紅茶やストレンクズファインダーのイベントをしてはどうかということになった。hatis AOでもスミーさんの講座をやるのだが、とんとん拍子に拡がっていく。横須賀という地域に。

話し合いが終わり、〈No.13〉に寄った。冷えた珈琲を頼んだ。

ガラス製のテーブルを挟んで、スミーさん熱量についての話になった。なぜそういう話になったのだろう。スミーさんはhatis AOでの講座について打ち合わせをしたかったのだろうが、次第にスミーさん自身の話に移っていった。

以前、上町の〈カフェミコノス〉で出会った方が〈No.13〉に入ってきた。相手側が話しかけてくれた。その方も野口さんもスミーさんの話に耳を傾けてくれた。

スミーさんの言葉は熱を帯びていた。熱湯のように湯気を立てて、想いが発せられていた。やすきはその時はじめて、スミーさんには野口さんに負けないくらいの熱量が眠っていることに気づいた。

左側に黒い壁が見えた。目の前のガラスのテーブルには、ハリオのワイングラスにアナエロビックのアイスコーヒーが注がれていた。以前の焙煎機で焼いたということだったが、私は以前より美味くなったように感じた。そう、野口さんもいまだに成長をしている。店を続けるとは、そういうことなのだろう。

スミーさんの気持ちを受け止めながら、やすきの心に唐突に、「人生って面白いなあ」という言葉が浮かんだ。どんな映画よりおもしろい場面だ。なぜなら人生の当事者同士が集まっていたから。

〈No.13〉を出て、衣笠の商店街でタレカツを食べて、横須賀駅まで出た。そこから京急の汐入で別れた。スミーさんはこの後、自宅でキーマカレーをつくるというタスクがあった。

この二日間、どれだけの言葉を交わしたのだろう。一年前のオープン時より、可能性が増していることは間違いなかった。