店を週一営業にしています。
ご来店頂いた方、申し訳ございません。
ケータリング、ワークショップ、BBQの企画をはさみ、来月の終わりから通常営業にもどす予定です。
ちがうこと

この2ヶ月、夜バイトで相当ストレスが溜まっていた。周囲によく愚痴ってしまっていた。いま振り返ると、よろしくない態度だった。すいませんでした。
世話にもなっていたのだが。やりたいことのためにやりたくないことをやる、というのも致し方がないと考えていた。だが、結局よくはなかった。
嘘の仮面をかぶって働くことは、重い違和感を連れてくる。あまりに自分の価値観とかけ離れている会社に就いていると、押し潰されそうになる。以前はそれが大人、だと考えていたが、生業を創っているいま、そうだとは思れなくなった。
もちろん、これは私の性分であり、組織で働く人が向いている人はその限りではない。その職場がいいという人もいた。私はそうはなれなかった。
店の方にも差し支えそうで心配だった。実際、店の昼営業のあとが憂鬱で憂鬱で、お客さんが感じ取っていたのかもしれない。
店は停滞した。客足もそうだし、店の流れもそうだった。いままではお客さんが少ない時でも、必ず濃い時間が発生していて、集まった常連さんと話して次の流れを醸造していた。
それが途切れた。すると、全体的に営業の時間が淡く、薄くなった。もどかしい日々が続いた。No.13の常連でもある高橋さんをはじめ、平日で来れない方が来てくれるようになったのは良かったが。
反省として。エネルギーを吸い取られるような嫌なことはしない。会うのが嫌な人たちと定期的に会うとなると、心が摩耗してしまう。
もちろん、その職場にもいい人たちもいた。店に来てくれた同世代の人もいた。若い人たちはしっかりしていて、優しかった。今の20歳付近の方たちは、黄金世代だと思う。
はじまりの地へ

昨日は、鎌倉の上町屋で仕事だった。追浜の仕事が急遽キャンセルになり、代わりにこの仕事を入れた。
新しく登録した会社はこのようなことがままあるようだった。タイミーだとほとんどないのだが。かかってくる電話口も感じがよくないし、早めに切り上げたほうが良さそうだった。
今日の出向先の人たちはいい人たちだった。いい人と働くと、自身のバイブスも上がってくる。
予定より45分、早めに終わった。時間に余裕ができたので、すこし鎌倉を歩くことにした。
マップアプリを眺めていると、歩いて常盤までいけることに気づいた。常盤は、はじめて一人旅をした時に泊まった〈鎌倉ゲストハウス〉がある。移住してからも、2ヶ月ほど常盤の工場で働かせてもらっていた。鎌倉の中でも好きな地域のひとつ。
私が岡山から神奈川へ移住を決めたのも、この一人旅の影響が大きかった。鎌倉ゲストハウスには2泊したが、そこですごした夜が素晴らしく、鎌倉の思い出に花を添えた。
最初の晩。昼の3時頃に着いて、寝室で仮眠をとらせてもらった。寝室から、隣の公園で子供達が遊ぶ声が聴こえた。
常盤の空気は澄んでいて、吸うごとに体の歪んだ箇所が治っていくようだった。この場所が好きになった。
いつかこの辺りで働ければいいなあ、とその時考えた。
hatis AOに至るまでの物語が、ここからはじまっている。
上町屋にあるセブンイレブン付近の交差点から、湘南町屋までつづく細道がある。藤塚小学校を経て、湘南深沢駅まできた。

途中、等覚寺の隣のマンションの奥に、山道があることに気づいた。気になって進むと、石の階段の上に、稲荷があった。小さく、誰も気づいていないような古さだった。枯れた老木が倒れている。お賽銭を入れる箱が竹で出来ていた。
鎌倉だから、この小さな稲荷も、1000年、もっと歴史があるのだろうか。関東の古都では、街のあちらこちらに、遺跡のような古い場所を見つけることができる。
Googleマップにも記載されていないこの小さな稲荷は、私には大切な場所のように思えてならなかった。だから鎌倉の人々も保存してきたのではないだろうか。

常盤についた。〈清水食品〉という、豆腐の製造会社があって、100円で大豆製品が購入できる。木綿のお豆腐と油揚げを夕飯用に買った。

深沢小学校の裏手に、御霊神社がある。御霊神社は葉山と長谷にも、同じ名前の神社が存在する。
調べてみると、鎌倉に張られた巨大な結界の要所要所に御霊神社は設置されている。いわゆるレイラインと呼ばれる五芒星の対角線上に、守り神のように神社がある。御霊神社はレイライン上にあるので、パワーが強い。と私は解釈している。
去年、常盤で働いていたときも、朝早く来て、御霊神社に参っていた。いつも朝早くから御霊神社を掃除しているおっちゃんがいた。ある時に話しかけると、「私がこの神社を世話しなければいけない」とある日感じ、それ以来、神社を綺麗にしているらしい。不思議なことを言っていた。
この日、私が本殿と思っていた建物の窓が開いていて、その奥に階段があるこに気づいた。階段を登ると、社があった。私は2ヶ月ここに通ったが、社の存在にまったくきづかなかった。
浄財を入れ、拝んだ。お願いをするのではなく、ありがとうございますと祈るようにしている。祈り終わったあと、振り返ると、小高い丘から、竹林の奥に、常盤の街並が見えた。すると、不思議な感覚に包まれた。
初めて来た場所なのに、どうも見覚えがあるような気がする。大切ななにかを思い出しそうになった。だが、靄がかかったように出てこない。
もしかしたら、はるか遠い昔にここにいたのかもしれないと思った。
よしもとばななの『「違うこと」をしないこと』という本に、生まれ変わりのことについて書かれている。よしもとばななはチベット僧で産まれることを繰り返していたそうだった。
その本に書かれていたが、輪廻転生があるとして方が説明しやすいことが多い。なぜ岡山で生まれ育った私がピンポイントで鎌倉の常盤が好きなのか。普通なら説明がつかない。
喪失
御霊神社を出て、鎌倉ゲストハウスに向かった。距離的にはすぐそばにある。川べりを歩いて鎌倉ゲストハウスについた。だが、ある異変に気づく。
「For Sale」の看板が入口に置かれていた。宿として動いている気配がない。
手元のアイフォーンで情報を検索した。鎌倉ゲストハウスのホームページには、2022年末をもって、営業を終了したのことだった。
愕然とした。同じ建物に、地方からの野菜を売るショップができていた。ここも、一人旅のときはBARで、去年はいいスピーカーのあるイタリアンの店があった。
時の経過と共に、なくなっていくものがある。
はじまりの場所がなくなって、なんだか心許ない心地になった。たまらず、隣の公園に逃げ込んだ。公園は残り続けている。
そこには、一人旅のときのように、子供があそんでいた。おかっぱ頭の少年か少女かわからない子供が、鉄棒にぶらさがって遊んでいる。母親が、少し離れて自転車からその子を見守っていた。
ベンチには、おじいさんが1人座っている。ストロングナインのロング缶を飲みながら、その子を見守っていた。
私もお邪魔してベンチにすわった。晴天を見て、経験したことのない悲しみを受け流していた。
空も街も澄みきっていた。ところどころに夏雲が浮かぶ。鎌倉の山中には、静寂が沈んでいた。軍用とおぼしきヘリコプターが、視認できるほどの距離で静寂を切り裂いていった。
夕方5時が来たことを知らず町内放送が、夕焼け小焼けの歌のBGMとともに流れた。
物想いに耽ってるうち、親子も、ストロングナインのおじいさんもどこかへ去ってしまった。私はまた歩き始めた。
常盤口のバス停から、八雲神社前の交差点を左に曲がり、佐助方面へいく。なぜそのルートを選んだかは、定かではない。心が朧げだ。
私は気がついたら八雲神社にいた。お祈りをして、笑っていた。笑っていたというのは、ドンピシャだったからだ。
前々世あたりの私は、おそらくこの辺りに住んでいたに違いない。実証する術がないが、そんな気がした。家族と過ごしていて、この辺りの自然が好きだったのだろう。そういう設定で生きることにする。

新佐助トンネルに差し掛かったころ、私は突然に「生きててよかったぁ!」と叫んだ。なぜそういう行為に至ったかはわからないが心から湧いた言葉だった。車と、ロードバイクで人が行き交う。
違うことをしない。そうすれば自分の確信へと近づいていく。遠回りをしたが、そのことに気づくことができた。