藪木七海さんとの再会

藪木七海さんが横須賀まで訪ねてきてくれた。藪木さんは地元の岡山県津山市で出会った、同郷の写真家。今は東京に住まわれている。

アートギャラリー兼コーヒースタンド、〈Port〉で藪木さんが写真の展示をしたのが最初の出会いだった。〈Port〉は旧妹尾銀行を改装した場所で、知人の紹介を通して働かせてもらっていた。

初めての出会いから通算すると、4年は経っただろえか。その間も数回しかお会いしていないのだが、あまりそういう感じがしないのは、なぜだろう。

幻燈

ふりかえると、〈Port〉での経験は大きい。〈水路珈琲〉の竹内さんにバンドドリップを手ほどきしてもらい、はじめて珈琲を仕事にした。

人生ではじめて、芸術を生業とする人たちと接することになる。陶器家、画家、写真家。鉄を使って表現する人。ガラスで表現する人。ネオン管のようなものをつかってまったく新しい作品をつくっている人。

印象派の絵画が好きで、神戸時代に美術館へ足を運んだりもしていたが、いわゆる現代美術と向き合うことはなかった。

同時代を生きる人が、なにかをつくっている。生業にしているということは、生活もある。作家の方々たちは、みな物腰がやわらかい。

藪木さんも出会った作家さんの中の1人だった。〈Port〉の本館と、天井の高い別館のようなところがあり、藪木さんはそこで展示をしていた。その頃は、女性の写真を撮られていた。

〈Port〉はまだ立ち上がったばかりで、スタッフも、訪問客も、建物も、まだ戸惑っていた。形になり始まる前で、右往左往していた時期。

藪木さんの写真はどこか朧げで、儚さがある。展示はたしか初夏だったろうか。〈Port〉別館は荘厳といった造りだった。穏やかな日差しが滲んでいて、藪木さんの写真を浮き彫りにしていた。

不安定だった〈Port〉に藪木さんの幻燈のような写真が混じって、あの空気感をおぼえている。

その後、私は〈Port〉をやめて、〈hatis 360°〉というカフェを始めた。

うれしさと共に

店を開いて最初の冬。ある日、藪木さんが店を訪ねてきてくれた。藪木さんは関わっていた劇団のフライヤーを撒きに、津山中のカフェをまわっていた。私が店を開いたとは知らずに、来てくれたらしい。偶然の再会だった。

珈琲を注文してくれた。あの時は、手網で焙煎をしていて、グアテマラを中深でやっていた。

藪木さんが劇団の活動をしていると知ったので、店で朗読をしてもらえることになった。写真も展示してもらった。〈hatis 360°〉では何回か展示をしたのだが、藪木さんが初めてだったかもしれない。

〈Port〉での藪木さんは繊細な印象で、あまり話さなかった。2回目の再会のときに、やっと話せた気がする。朗読も、劇のように動きがあって、見入ってしまった。

その後、コロナ最盛期の2020年に、藪木さんは東京に出た。心配だったが、インスタでメッセージを送った。

それから3年。

横須賀で〈hatis AO〉をオープンし、しばらくすると藪木からインスタでメッセージをもらった。店に来てくれることになった。

2月18日。あの日の〈Port〉での展示のように、日差しのやわらかい土曜日だった。気温は低いが、春の足音が遠くから響いてくるような、嬉しい日だった。

藪木さんがその日の最初のお客さんだった。2回目の再会。オープン前に藪木さんのことを追憶していて、朗読劇の様子が頭に思い浮かんでいた。

スパイスカレーと珈琲のセットを注文してくれた。前の店でもカレーは出していたが、私のスパイスカレーを食べてもらうのは今日が初めてだった。

空間 

藪木さんの最近の写真を見せてもらった。カメラに明るくないので詳細はわからないが、露出を工夫して、同じ空間を数秒(?)、撮り重ねた風景写真だった。女性のポートレートではなかった。

その写真は空間のさらに裏の奥行きや、時間の流れを現しているように見えた。それが、私がさいきん取り組んでいるカタカムナの考えに似ていた。カタカムナは目に見える表象世界の裏の、潜象世界を重視している。

〈hatis AO〉も、同じように感じることがある。つくられて70年にもなるこの平家は、時間の流れがとてもゆっくりしていて、空間に広がりがある。むかしの人は、この速度で生活していたのだろう。津山でよく通っていた〈丹後山アパートメント〉もそうだった。

「そういうのって、つながりますよね」

と藪木さんは言っていた。たしかに、自分がいま考えていることで、出会う人が変わってくる、ということは店を開いてから実感がある。

3年、という月日は、積み重ねると一つのものができる。私も〈hatis AO〉でのスパイスカレーのスタイルをつかんできたし、藪木さんも新しいなにかをつかんでいた。蓄積と共に、人は成長する。

藪木さんは、富士見町が津山に似ている、とも言った。路地裏が狭く、歴史がある。横須賀と津山が似ているなんて、考えたこともなかった。

神戸に長く住んだ王子公園にいたときも、津山の同じことを言われた。高架下が、私の実家の駅前に似ているというのだ。

富士見町に住めたのはつくづく幸運だとおもっていたが、もしかしてなにか縁があったのかもしれない。

〈hatis AO〉で、写真の展示をやろう、ということになった。もし実現すれば、やはり藪木さんが最初の展示になる。

藪木さんは場所を探されてるので、これを読んでいる方で、思い当たるところがあれば、ご連絡くだささい。