Dismantling

解体現場のアルバイトをしている。農園のアルバイトに引き続き、こちらも初めて。今年は店の一本化をするだろうから、今のうちにたくさんの経験をしておいたほうが後々のためになるかもしれない。

イメージと違って、きつい仕事ではなかった。現場の人当たりも優しい。昔は、厳しかったんだろうなとも感じる。私がお世話
になっている会社が特別なのかもしれない。派遣をさまざまやってみて、多くの会社と関わった。その会社がいいかどうかを判断するには、社員の人間性がいいかどうかを見ればいい。なぜなら、組織はトップの性格に似る。ということは、働く人もトップに似てくる。

働き方も勉強になる。デスクワークだと、ホンレンソウが基本だが、職人さんたちはツーカーというか、そういうことはわかってるから次いけよ、という風な意思疎通だ。個人事業主の感覚にも似ている。




私は、幼き頃から絵を描くのが好きだった。やがて音楽をつくるようになり、言葉をつくりはじめる。やがて、店を作り、場を作り、スパイスカレーを作り、珈琲まで作るようになった。どうやら、作ることが私の人生のようだ。

つくる仕事があれば、壊す仕事もある。それは一つの番のようでもある。ダウンダウンの松本人志が自分の仕事は壊すこと、と言っていたのを聞いて、驚きもあれば、納得した部分もある。

0から1をつくる仕事。これは私にあたる。私の仲間にも、この種の人は多い。成立した1から発展させる仕事、広める仕事。さらに規模が大きくなると、それを維持する仕事。そして最後に、壊す仕事。壊すのは、次を創るため。

創ること、と壊すことは相反するようで、とても似ている。解体の仕事で言うと、つくっていく工程と順番が逆になる。

バールで石膏ボードをはがす。木で組んだ骨組みが見えてくる。骨組みの内、横から取り除いていく。外壁は鉄のものだったり幾つかのパターンがあった。


家って、こんな単純な構造なのか、と崩しながら考える。石膏ボードの粉塵が宙に舞っている。家の中だが、壁はとうになくなり、吹きさらしで寒風が侵入してくる。

かつてここにくらしがあった。取り壊すのは、新しく立て直すためなのだろうか。3件ほど解体をしたが、五反田のタワマンの案件をのぞき、どちらも昭和の建物だった。

長い間、ここに家族のくらしがあったのだろう。建物は、そこにあった時間を記憶している。いま、バールやハンマーで取り壊している木々のひとつひとつが、それを覚えているのだろう。

形あるものはいつか崩れる。必ず。命もそうだし。

だけど、私たちはまるで月のサイクルのように、つくっては壊すの繰り返しをしている。ひとつの考えやサイクルができて、それを壊して、また新しいサイクルに入る。満月で完成して、下弦に移行し、真新しい新月になる。

そう、こわすことは、新しくつくること。