年末年始、農園でアルバイトをした。農業の仕事は初めてだった。津山でも、神戸でも農業の募集の見たことがない。もしかしたらあったのかもしれないが、私の目線に引っかかったことがなかった。
職場は津久井浜駅が最寄りだった。電車で30分ほどかかる。津久井浜駅に降りるのもはじめてだった。
方便

駅周辺にはなにもない。目につくのは、駐輪場と、京急ストア。駅を出て左手側には神社がある。神社の前に登山をする格好の人たちが5,6人集まっているのを見かけた。ハイキングを楽しむ人の待ち合わせ場所になっているのだろう。
津久井は小高い山になる。三浦半島に越してから1年半が経つが、こんな場所があるとは知らなかった。
自転車のタケシと一緒に、三浦半島の主だった場所はほとんどいったつもりだったが、まだまだ未開拓の地はいくらでもある。店が軌道に乗って、時間に余裕ができたら、まだ見ぬ場所を訪れてみよう。新しい自転車に乗って。
駅から農園までマイクロバスが出ていたが、いつも30分かけて歩いて行っていた。窮屈さを避けるためでもあったし、景色が美しかったからだ。緑に囲まれた土地に、いくつかの農家。グリッドデザインされたかのようなキャベツ畑。畑の真ん中の農道を、突っ切っていく。音がないことに気づく。なにもかもが見通せるかのような冬の朝だった。
大勢の人がアルバイトに来ていて、農園は人で溢れかえっていた。フェスのようだった。ほとんどは高校生だが、何人か大人がいた。大人組は畑で作業をし、高校生は敷地内の工場のような施設で細かい作業をする。

畑は、津久井のなだらかな斜面にあった。金田湾が一面に広がり、千葉の房総半島が見える。
朝の光が、海を照らしている。岡山で見た久米南町の棚田とはちがう、穏やかな斜面。右手には、富士が見える。壮大な風景画を、休憩中、そこにいる人全員が見入っていた。
毎年来ているベテランがいて、60代以上の方たちが多かった。話を聞いていると、茨城や栃木など、北関東から出てきた人がいた。東京ではなく、なぜ横須賀だったのだろう。横須賀も当時は、栄えて仕事が多かったということだろうか。
栃木の人は、ほぼ東北弁のイントネーションに近かった。茨城の人は、ひたちなか市から来たと言っていた。以前は三浦に住んでいて、城ヶ島で魚屋で働いていたそうだ。
私たち新人組は仕事中話さなかったが、ベテランの人たちはたまに話しながら仕事をしていた。聞いていると、東北なまりの人、横須賀っぽい話の人が混じっててリズムがおもしろい。民族楽器が入り混じったセッションを聴いているようだった。北海道から来た人は、話し方がニュートラルに感じた。
横須賀にも方便に近いものがあると聞いた。佐島には漁師が多く、言葉が比較的に粗いらしい。その荒い言葉の使い方を、漁師言葉と呼ぶようだった。横須賀の家庭の中には、注意して漁師言葉を使わないように、という教育をするところもあるという。
中には、山形から来たという人もいた。去年末に亡くなった、あけ竹城が同郷だという。あけ竹城は昔、セクシー女優のような活動をしていたと話していた。北海道の人は、札幌にはいま、柴咲コウが住んでいると話す。この世代の人はテレビが好きだろうから、芸能人の動向が気になるのだろう。
それぞれの土地からきたベテランたちは、普段、方便を意識して使わないと話していた。職場で使うと、波が立つらしい。私はまったく気にしていない。神戸弁と津山弁が入り混じっている。神戸弁はネイティブではないので、本来のイントネーションからずれてきているかもしれない。
鳩

仕事中、山から発砲音が鳴っていた。鳥よけに打っているらしかった。
ある時、畑の上空を突然、大量のカラスが埋め尽くした。カラスの領域に、鷹が侵入したらしい。強力な外的に、カラスは組織的に動いて対抗している。カタールワールドカップの、ドイツ対日本戦のようだった。穏やかに見えるこの自然の中にも、過酷な戦いがある。
なにか異様で、まるで映画の一場面を見ているようだった。意外に迷い込んだようなざわめきがあった。
20分ほど続いただろうか。どうやらカラスたちは鷹を撃退したようで、各々に散っていく。それを見て、茨城の人がこう言った。
「俺も山に鳩を飼っているんだけど、鷹か鳩をたべてしまうんだよ」。
それを聞いて驚いた。鳩もなかなかの大きさだが、鷹はそれを平らげてしまうのか。そんな話は聞いたこともなかった。
住む場所が変わると、見る景色も、耳にする話も変わってくる。知見は増えていくだろう。
