北鎌倉の〈珈琲 綴〉

ある日、鎌倉に行ってみようと思い立った。2023年1月9日、成人の日。よく晴れた日の正午だった。

年末年始の農園アルバイトを終えて、店の厨房の片付けをしていた。忙しさにかまけていて、掃除が疎かになっていた。ゴミ出しは忘れているし、皿も調理用具も散らかりっぱなし。よく営業をしていたものだ。

決める

雑巾を絞り、ほうきを掃く。大掃除をする。年末が遅れてきたようだった。床には焼いた珈琲豆やゴミが散らばっていた。目下、夢中になって焙煎していて、足元に気づいていなかった。

掃除をしていていると、いろいろなことが中途半端になっていたことに気づく、らコーノ式のドリッパーや、珈琲の抽出に使うビーカーも、置き場所を決めていなかったので、あちらこちらに移動する。開店前に、何枚も頂いた食器も整理しきれないでいた。使いきれないでいたものもある。

まず、まったく使わないものは捨てることにした。開店する前も処分したのだが、営業しながら、使うものと使わないものがはっきりしてくる。

自分が仕事をしやすいように、導線を考えて、コーヒーミルや炊飯器、オーブンの位置を変える。使用頻度が高いものほど手に取りやすい場所へ。バラバラだった道具の置き場所を定める。

ついでに、自室も整理した。箪笥を移動し、本棚のスペースを黒く塗る。

決めきれていないことがそこら中に散らばっていて、自縄自縛の迷路に入り込んでいた。なかなか物事が前に進まなかったのは、自分が左か右か、選択肢を後回しにしていからではないか。

忙しさのせいにして、自分が疎かになっていて、そのツケがお客さんに回っていく。

これではいけない、と掃除をつづけたが、ある時、エネルギーが切れた。ガス欠のような状態になった。身体より、心の方が疲れていた。

掃除用具を買いに行くついでに、鎌倉に行くことにした。大好きな鎌倉に行って、一時でも心を休ませようとした。また、店に入って、何かヒントを得たかった。

北鎌倉へ

京急だと切符代が高いので、JR横須賀駅まで歩く。〈文具のかわしま〉で、手帳を買った。やるべきことと、スケジュールを整理するため。週の予定が見開きで目視できるものにした。

久方ぶりに横須賀中央を越える。本町あたりは、外国人向けのお店が立ち並んでいる。あ、横須賀は外国人が多いんだ、と1年も住んでよくわかっているはずなのに、初めて横須賀を訪れた日のように理解した。

汐入駅の陸橋の下あたりに人だかりができている。華美な着物を来た女性が目についた。そうか、今日は成人式だ。

この人たちは、みんな20歳になったんだ。私も16年前に、成人式を行った。神戸に住んでいたとき。20歳は、ちょうど伊川谷から王子公園に越した。

女性は、左髪にコサージュのようなものを飾っている。私の時にはなかったので、今年のトレンドなのだろうか。アニメのキャラデザインのように見えた。

老夫婦が通りかかって、「あら、綺麗ねえ」と若い女性に話しかけた。「ありがとうございます」と、若い女性はお礼を述べていた。あの嫗にも、成人式を迎えた過去があるのだ。

JR横須賀駅から北鎌倉駅へ。北鎌倉の山中にある、〈珈琲 綴〉へ行くことにした。去年の夏の緊急事態宣言中にも来たが、その時は閉まっていた。

北鎌倉駅から、山の内へ。〈珈琲 綴〉に向かう途中、小高い山の景色が見えた。あちらは、鎌倉山だろうか。枯野に暖かい陽気が降り注いでいる。

今日は、店が空いていた。1年半ぶりの訪問ということになる。入り口に靴箱があり、スリッパに履き替えて喫茶室に入る。

ネット上の情報から、しゃべってはいけないとか、ルールがいくつか店内では課せられていた。町田の〈CREIL〉のような場所だろうか。

〈CREIL〉がそうだったように、ルールがあるということは、その世界にどっぷり浸かれるということだ。店主さんの気持ちでもあるだろう。

心の用を満たす

喫茶室に入る。温和そうなご主人さんか迎え入れてくれた。奥の、だれもいない席に着いた。席に着くと、丸いガラスのコップに、白湯を出してくれた。

これとまったく同じサーブをしてくれる珈琲店を私は知っている。神戸の〈六珈〉だ。私が1番、好きな珈琲店。

〈珈琲 綴〉も、〈六珈〉のような空気を纏ってた。まるで物語の中にいるような気持ちになる。

街の延長線上にあるけれど、別世界でもある。小説や映画のような空間と時間が、そこには存在する。

深煎りのブレンドとニューヨークチーズケーキを注文した。待っている間、東京から福島に移住した女性の手記を読んでいた。

カッチコッチと、古い時計が規則正しく時を刻んでいるのが聴こえる。控えめなBGMに、ネルドリップで珈琲を淹れる音。すべてが申し合わせたかのように、時間が過ぎて行った。

しばらくして、珈琲とチーズケーキが運ばれてきた。粉引の珈琲茶碗が、畳のような受皿にぽつんと置かれている。チーズケーキは、苺と、ソースがすこし盛られている。一枚の絵画のようだった。

白い器に入った、珈琲を一口のむ。ああ、美味しい。その瞬間、肩の荷が降りたように感じた。喫茶室に流れる時間と珈琲が、私の焦燥感を取り払ってくれて、安らぎをもたらしてくれた。

このあいだ、横浜の〈Shelter people 〉でも深煎りを飲んだけど、またちがう甘さと苦さ。

チーズケーキはほどよく舌の上で溶けて、こちらも私の心を解いてくれる。

いい時間だった。

飲み終わったあと、手帳に、さきほど読んだ本の一節を綴った。

「心の用を満たす仕事」。

珈琲は、べつにあろうがなかろうが生活に支障はきたさない。だけど、心に作用する、大事な仕事でもある。

私の店はお客さんがよく会話をする。コミュニケーションが多い。〈珈琲 綴〉さんとは別のやり方だけど、心に関わる仕事でもある。

お客さんの心を満たすなら、まず、私自身も心が満ちていないといけない。

今日、成人式を迎えたあの人たちの中にも、悩みを抱えた人はいるだろう。そういう人のために、珈琲の仕事はある。

ふと立ち止まることができて、帰り道、私の心が満ちていたのは言うまでもない。