12月、Twitterであるツイートを見かけた。
「北久里浜にある〈ますみ食堂〉が年内で閉業します。みなさんぜひ行ってみてください」。
これは行ってみねば、と思った。
街のつながり

横須賀に住んでもう1年が経つ。私にとって、なんの縁もゆかりもない土地だった。ただ、店の物件が見つかったから、三崎から横須賀に移った。
その前の、岡山から神奈川へ移住の時は、なんとなく、という理由で横須賀は避けていたほどだった。
ところが、住んでみるとおもしろかった。それに、人がいい。横須賀の住民は、みんな手を差し伸べる優しさを持っていた。
住んでみると、横須賀は市外出身者も多いことがわかる。だけれど、横須賀生まれか、そうでないかに関わらず、みんな人がいい。
人がいいから横須賀で暮らしているのか。横須賀で暮らしているから人がよくなるのだろうか。
三崎もそうだったが、港町には、みんなで助け合う文化があると聞いた。海が近くなので、有事の際には近隣の者同士で手を取り合う慣例が、街の人間関係の基礎になっているのだろう。
長らく住んだ神戸も、おなじく港町で、似ている部分がある。神戸の人も、困ったら助けてくれるのだが、普段は距離がもう少し離れている。
その距離の取り方が適度で、踏み込みようとしすぎると、さっと離れてくれる。代わりに、こちらが独りでいたいな、という時にも放置してくれる。その距離感が心地いい。
盆地の城下町である津山は、人間関係の間合がもっと短い。それが好きな人もいるだろうし、そうでない人もいる。お互いが間違ったほうに行かないように見合っているのだろう。
今思えば、津山も、各々勝手にやってたけどね。
横須賀は歴史がある。空襲がなかったから、70年前から続いているお茶屋さんや出汁屋さんが上町には残っている。暮らしている内に、この街はどういうところなのだろう、という好奇心が湧いてきた。
時と街は移ろいゆく。私が住んだこの1年の間にも変化があった。私や野口さん、他の方が新たなお店をオープンした、と同時に、老舗の蕎麦屋さんがなくなったり、商売を畳むお店がいくらかあった。
横須賀の歴史のすべてを知ることはできない。だけれども、目に見える範囲で、知っておこうと想うようになった。横須賀の歴史にに対する、感謝と敬意から生まれた感情なのだろう。
花

2022年12月26日。師走の、気持ちよく晴れた日だった。空が青く、天が高い。雲一つなかった。京急県立大学駅から久里浜駅で下りて、歩いて〈ますみ食堂〉へ向かう。
長安寺から久里浜幼稚園の方向へ進み、橋を渡る。南下すると、八幡第2公園が見えてくる。この辺りは団地になっていて、お店があるのは珍しかった。〈ますみ食堂〉は老舗なので、お店ができた後にこの住宅街が出来たのではないかと想像した。
比較的新しい住宅街のようだった。山を削って、家々の位置に高低差がある。横須賀市でよく見る光景。軒先に、美しい赤い薔薇が咲いているのを見かけた。

入り組んだ道を行き、〈ますみ食堂〉に辿り着いた。お店の前には、すでに3人並んでいる。列の1番後の人に、「並んでいますか?」と尋ねた。見たところ、私と同年代のようだった。「入るかどうか、考えています。どうぞお先に」と、順番を譲ってもらう。私と同じく、Twitterで閉店の情報を知った人のようだった。

幅が足りていない暖簾。入り口に漫画がばらばらに置いてあるのが見える。ストーブの上には大きな鍋があって、店員さんが鍋からなにか注いでいる。お味噌汁だろうか。
待っていると、常連さんらしき初老の人が、爪楊枝を咥えながら出てきた。並んでいる列を見て、「すげえな」と呟く。閉店の情報が出回っているから、列ができていて、普段の営業ではなかったのだろう。
爪楊枝の人の後にもう1人出てきて、爪楊枝に大きな声で話しかけて、会話がはじまった。「おい、タコ社長はどこいった?」「知らねえよ」「あっちの方だろ」、と言いながら去っていく。
後で気づいたのだが、タコ社長というのは揶揄ではなく、本当にタコを売っている会社の社長なのだ。野比のあたりに地蛸売ります、と書かれた看板を見たことがある。佐島で蛸がとれるようだ。
しばらく待って、中に通された。店員さんは、中学生のような女の子だった。ご年配の夫婦が厨房を回している。お孫さんが手伝っているのだろうか。
入り口右奥の部屋に通された。4つほどテーブルがあって、コロナ対策用の仕切りがある。父娘の2人客がいるテーブルに相席させてもらった。
壁にメニューが貼ってあって、ほとんどが500円前後の価格だ。開店当初から、ほぼ変えなかったのだろう。
正直、この時はあまりお腹が空いてなかった。だけど、横須賀の歴史の一部を体感しておこうという気持ちだった。メニューは、大好きなイカの天ぷらを定食で頼んだ。
注文を待っている間、この空間を眺めた。本棚には『サラリーマン金太郎』、『新宿スワン』、『天上天下』など、微妙な2000年代の漫画が揃っている。この部屋自体がさほど古くないように感じられた。
いかの天ぷら定食が運ばれてきた。500円の価格とは思えない、綺麗な天ぷらだった。

イカの天ぷらが3つと、葉物の天ぷらが1つ。天だしは甘くなく、あっさりとしていて、食べやすい。お腹は減っていなかったが美味しくて、夢中になって食べた。
前日、私も店のメニューでバナナの天ぷらを揚げたのだが、まったく別物だった。衣は軽く、歯触りもよく、完成されていた。ここまでの熟練に到達するのに、どれだけの時間を要したのだろう。
自分が珈琲に置き換えると、途方もない時間のような気がした。
食べ終わって、入り口で会計をした。おじいちゃんが、集中して天ぷらを揚げている。奥では、おばあちゃんがサポートをしている。
この2人で、支え合って、お店を長く続けてきたのだろうなあ。有名にならずとも、地元に根付いて、地道に商売をつなぐ。コロナにも耐えて、体力の限界までお店をやったのだろう。
その日々の尊さを想った。
自営業をしていた、私の祖父と祖母と父もそうだった。祖父の会社に勤めていた店員さんたちのほとんども亡くなられた。
お孫さんに料金をお支払いした。美味しかったです、と伝えると、花が咲いたように笑った。誇らしかったに違いない。私も、おなじ。