すいません、今回は箇条書きになってしまいました。あと、箇所箇所いらいらしているかもしれません。スルーしてもらっても構わないです。
漆喰

今日は仕事で嫌な気分になった。仕事で嫌な気分になるのはこの2年間であまりなかったことだった。商売に集中できるようにしたい。仕事を与えて頂いて感謝。
昨日、元旦にも関わらず、お客さんが20キログラムもする漆喰と攪拌機を運んできてくれた。ありがとうございます。応援してくれる人のためにも、やる。
漆喰を水とかき混ぜて、1日おくと壁に滑らかに塗れると教えてもらった。さっそくバケツにいれてやってみたが、攪拌機が思いの外に機動力があって、床に漆喰が飛び散った。縁側でやったのでえらいことになる。
失敗は成功の元なのでまあいいかと思った。2回失敗したらコツをつかんだ。
壁に塗る為に100円ショップにマステを買いに行ったが、昨日も今日も閉まっていた。津久井浜駅から横須賀中央まで出ようとして、金沢八景まで乗り過ごしてしまった。中央に戻っても、店はしまっていた。それだけでどっと疲れた。
明日には開くかなあ。
インスタ

インスタ。この2年間、インスタからブログの流入が記事ごとに20人は来てくれていたのだが、先月から突然、1人か2人しか来なくなった。いいね!も横須賀に越してから激減。
がんばって投稿しても伝わらないので、個人のアカウントは消すと思う。店のアカウントを中心に充実させる。目指せ、3000フォロワー。
でも、この2年間、見続けてくれた20人がいた。多くは津山の人たちで、お店で関わった人たちだったのだろう。
アクセス数で判断するしかなかったが、その20人の視点のおかげで、ブログをつづけることができた。
文章を綴ることによって、感情を棚卸して、整理する。自分の心のどこかを耕す。
その畑がいつしか、新しいご縁とのきっかけになっている。2年間にも及ぶ広大な作地を、ふらっと見に来てもらえてる。
自分のためだけに書き始めたのだが、いつしか、友人へ手紙を認めるようになっていった。
個人のアカウントは津山の知り合いが多い。ふと気づいたんだけど、その人たちに見栄を張り続けてきた。なぜそんなことをしている不思議だ。
私にすごい嫌なことをしてきた人も見続けなけらばいけないし、ここらへんで打ち止めにしておこう。フォロワー数もこの2年間、700人から増えなかった。
津山を出て1年半。津山でも多くの人に助けられたが、中にはうーん、というような人もいた。自分が悪い部分もあったが。
神戸でそんなことはなかったし、横須賀・三浦でもないんだよなあ。みんな私を尊重してくれるというか。港町の人たちの気質が合っているのかもしれない。
個人のアカウントを消しても、ご縁がある人とはつながり続ける自信がある。これからに集中しなければいけないし、見栄を張り続けるのはもういいか。
今日はみんなとの関係について考えていたなあ。あまり関係がうまくいかなかった人と、被害妄想で頭の中が渦巻いていた。執着を手放して、これからと大切な人について考えたほうが健康的。健康になる。
しあわせの青い鳥

仕事中、「周りが見えてないぞ」と怒られた。
目の前に夢中になって、そういうことがよくある。元女将との最後の言葉も私が見えてないじゃないか、だった。
冷静にならなければならない、という方針の延長線上で、自分と周りを俯瞰することが大事だ。あまり感情を入れない。一喜一憂しない。
店に出すドーナツの材料を購入する。意外に簡単にできそうだ。材料にこだわりたい。
母に電話で新年の挨拶をする。母も自営業なので、商売の話をした。父が亡くなってから、取引先の社長に大丈夫なのか、ということを言われるらしい。母はよく耐えている。見習う。
幸せって、辛いことや、不幸なことと隣り合わせなのだと思う。どこか哀しそうで、辛そうで、諦観さえ感じられる母の口調にそれを想った。
客足は少なかったけれど、この3ヶ月での店の営業で、1人1人の来客が幸せだった。
目標は達成しなければいけないんだけど、幸せとはまた別の話のような気もする。
大切な人とごはんを食べるだけでも幸せになれる。
店に足を運んでもらって、つくったものを口にしてもらう。好きなことをやる。これは、嬉しいし、楽しい。
成長は喜び。人をつなぐことも喜び。
幸せ、嬉しい、喜びは、似ているようで、またちがう。ご飯と味噌汁と漬物とトンカツの定食セットのようなもの。
今日もありがとうございます。感謝。愛。