父と母、小学生の私、弟と妹。中学生になって自分の部屋をつくってもらえるまで、6畳1間の寝室で家族全員が寝ていた。その寝室には箪笥と、我が家で唯一の四角いテレビがあった。
土曜日の7時だっただろうか。週刊少年ジャンプで連載されていたバスケ漫画、スラムダンクがアニメで放映されていた。私の家族はそのアニメに夢中で、釘付けになっていた。布団を敷いて、お風呂に入って、寝間着に着替えて、家族全員で観ていた。
父は興奮しながら陵南戦を観ていた。試合の途中でよく回想シーンが入る。すると父母は、「また思い出か!」と強く叫ぶのだった。
スラムダンクとのかかわり
私は主にジャンプの漫画を集めていた。その中でも、スラムダンクとヒカルの碁だけは両親は読んでいた。どちらも、大人の鑑賞に耐え得る、完成度の高い作品だったからだろう。
連載中、私は小学生で、ジャンプを読む習慣がまだなかった。津山口に引っ越した幼馴染のゆきまさくんがスラムダンクを集めていて、20巻をゆきまさくんの家で読んだ覚えがある。
同じく小学生のとき。イズミにマクドナルドが入っていて、なぜか一人で入って、注文を待っている間、当時ジャンプの最新号を読んだ。ちょうど海南戦をやっている頃で、牧の活躍が描かれていた。スラムダンクの存在自体が朧げなはずなのだが、なぜか印象に強く残っている。
連載終了後に単行本を集めた。中学校でバスケ部に入ったからだ。その時代はスラムダンクに影響されてバスケ部に入部した人が多かったらしいが、私は後先だった。
公式戦の前夜は、山王戦にあたる24巻から31巻を読み返して気持ちを高めるというのが私のルーティンだった。
アニメ

いま、YouTubeで東映が公式でスラムダンクのアニメが毎日アップされている。アニメはインターハイは描かれておらず、アニメオリジナルの翔陽・陵南の合同戦に差し掛かったところだ。
毎回100万回近く再生されて、ほぼ同じタイミングで同じ人たちが見ている。おそらく、私と同じくリアルタイムでスラムダンクを経験した人たちが多いのだろう。
アニメのスタッフはバスケを知らない人たちで作られているので、私が観ても動きがおかしかったり、桜木はこんな心情だったのだろうか、という原作にはない台詞に違和感を覚えることがある。
だが、このアニメはみんなにとって特別で、大切な記憶だ。宝石のように。
だから私も毎日の楽しみになっている。仕事や店の営業の終わりに、スラムダンクのアニメを観ている。
原作者の井上雄彦さんが監督で、スラムダンクが映画化される。声優が一新されて、物議を醸し出している。
井上さんは、新しいものを作り出したいとインタビューで語っていた。絵柄も当時のものではなく、最新のものになっている。キャラクターはCGだ。
新しいものをつくろうという製作者の想いと、みんなの期待がかけ離れている。なぜだろう。
ひとつ言えるのは、作品はだれのものでとないということ。
この映画で初めてスラムダンクに触れる人もいる。その人たちは旧アニメバージョンを知らず、なんの感傷もなく映画を観るだろう。
スラムダンクは、むかしアニメを観ていた人たちだけのものではない。
この映画には製作に長い年月がかかっている。変更された声優さんも、バッシングに対しどう捉えているのだろう。
桜木花道役に選ばれた木村昴さんはドラえもんのジャイアン役をやっていて、どうも花道のイメージが湧かないという。自分が積み上げたことが足を引っ張るというのは、声優という職業独自のものだろう。
バッシングされるものの、オーディションを勝ち抜き、選ばれたのだから仕事に向き合うしかない。
井上さんは、新装版のカバーを描く時も、湘南のキャラクターたちが生きていると語っていた。30年近く前の作品になるスラムダンクがこうやって映画化されるのは、スラムダンクがまだ生きているからだ。
生きるということは、くりかえし変わるということ。
観る側の私たちも、生きている。亡くなった私の父は、新しいスラムダンクの映画を観ることができない。
だから過去は過去で、あたらしいものを受け入れたほうが、たのしいと思うんだけどなあ。