店に元職場の同僚が来てくれた。かつては毎日のように会っていたが、仕事を離れると会う機会がへる。当然といえば、当然か。
だが、店を開けていると、かつて会っていた人も訪れてくれる可能性がある。喜びのひとつだ。
元職場は忙しくない時期もあり、同僚の人たちと話すことが多かった。ユニークな経歴や人格の持ち主も多かったので、話してみると楽しかった。
偶然にしては不思議なほど、色濃い面々だった。よくあんなメンバーが揃ったものだ。
店のコンサルをしてくれているオールウェイズさんは、体調不良の私のために差し入れを大量に持ってきてくれた。ウィダーインゼリーや栄養ドリンク。新しい絵を描きにきたコーキも、サウザンドクレインさんも心配してくれた。
私は、本当に人に恵まれていると思う。
初めて店を訪れたファウンテインさんは、〈ブーランジェリーゲン〉の食パンを持ってきてくれた。こういうセンスのある差し入れはありがたい。
ファウンテインさんとは元職場の同僚の中でも話した回数が多かった。2回ほど飲みにも行ったし、下北沢のコーキのライブも見に行った。
11月の秋晴れ。横須賀は暖かい。突き抜けるような晴天で、心地良い空気だった。飛行機が轟音をたてて飛んでいる。あの方向に向かって、いつも飛んでいるやつだ。庭に出てみんなで話した。ファウンテインさんは、ふとこういう風に話してくれた。
「ブログ、見てるよ。こういう風に考えているということがわかって、面白い」と。
その言葉に、ああ、ファウンテインさんとはそういう話をよくしたな、と記憶の波が打ち寄せた。
多面性

人間は様々な顔がある。仕事場での顔。家庭での顔。その人に趣味があればその時の人もある。例えばその人がスラムダンクファンで、今回の映画の声優変更についての意見をTwitterで熱く展開する一面もあるとしよう。一方、行きつけのBARでは、夜、シガーをくゆらしながら渋く振る舞っているかもしれない。Instagramではかわいい子供の写真をアップし続けているかもしれない。
どれが本当のその人か。すべてがその人とも言えるし、そうでないかもしれない。一般的な回答だと、家庭での顔が1番本質に近いだろう。
「わたし、仕事場での振る舞いがその人そのものだと思っちゃってた」
と、ファウンテインさんは話していたことがあった。
「そりゃその人にも色んな面がありますよ」と私は答えていた。
仕事では立場や責任を伴うことがあるし、本来の人格とは違う物言いや物腰になることもある、というような話の筋だったと思う。
「へー、すごいね。そういう風に捉えていて」
とファウンテインさんが言ってくれて、そういうもんじゃないかなあと考えていた。夕方、現場の片付けを終えて、カートで仕事用の荷物を運んでいた時だった。
私の話をファウンテインさんはよく聞いてくれた。私も自分語りが大好きなので、ぺらぺらと自分のことを話した。そんなファウンテインさんがこの件に関しては自発的によく話していて、印象に残っている。
ファウンテインさんは、コーキの持ち曲のたった一言の変更をライブで見抜いたりと、細かい観察眼をもっていた。
ふと振り返ってみると、その時は当たり前だよと思っていたが、存外に私もその人の一面がすべてだと見てることに気づいた。

今の職場は工場で、同僚の人とコミュニケーションを取る機会が極端に少ない。みんな黙々と1人で作業をしている。半数以上が臨時の派遣社員で、その人がどういう人となりなのか、まったくわからない。また、知ろうともしていない。
全体の作業の流れを観察していると、このおっちゃんは仕事が早いとか、この人は断りも入れずに独断的に仕事をする人だな、とか仕事の傾向で性格を読み取ろうとする。
その人の性質の一旦を理解したとしても、同じ作業をする可能性は低い。ますます興味が沸かなくなる。
ん?じゃあ俺は、仕事をしないとその人に興味が持てない人間なのか?
なんか違うなあ。
元職場では、出会ったその日にニシガーミー宅でお酒を飲み、サウザンドクレインさんに泣きながら元カノと猫の話を聞いてもらった。
今回の職場で1ヶ月弱になるが、自分を披露する機会がまったくない。店やってるんでよかったら来てください、とも一度も言ってない。
今の職場の人たちに対して興味がなさすぎるのだろうか。この人にも色んな面があるはずなのに。
前の職場が、ちょっと特殊すぎた、というのもあるだろう。
また、その人を多面体に理解するためには細かい観察眼が必要であることにも気づいた。
解放

珈琲屋の商売をしていると、いろんな話を聞く。昔ながらの珈琲屋さんは静かさが暗黙の了解で、だれも一言も発さない、という空気のお店もある。
私の店はその逆だった。以前の店はカウンター席があったので、珈琲一杯で、深く話をすることもあった。
店でお客さんと話したことは口外しない。自由に営業していて、私が自分に課していたルール。
そして、必要以上に踏み込まないこと。その人が話してくれることを聞くこと。
私は口が軽いから、プライベートだとポロっとその人のことを言ってしまうことがある。これは又聞きになるので、情報が誤って伝わる可能性もあるし、人としてもあまりよくない。
誰に教わったわけでもないが、店とお客さんの信頼関係を築いていく上で必要かなと感じているのでそうしている。それが正解か不正解かもわからない。
珈琲を飲みに来たお客さんは、仕事場でもなく家庭でもないこの場所に、立場から解放されにやってくる。
せっかく来てくれたので、その人そのままでいて欲しいなあという願いでもある。
それは、自分がどのシチュエーションでも自分でいたいという願いの裏返しでもある。
自分でさえ把握してない自分の一面がある。例えば、ふだん絵を描かない絵を描いてみて、こういう自分もいるのだなと気づくこともある。
ダイスのように、人間はいろんな面がある。ダイスを振ってどの面が出るかはその人次第だ。願わくば、どの面でも受け入れる場所をつくれたらと思う。
