自転車のタケシ

ウーバーイーツを始めようと思って、壊れていた自転車を修理することにした。上町の〈影山輪業〉さんへ持っていった。

しばらく放置していたのでチェーンも錆びていたが。壊れたと言っても、サドルが取れただけなので安いものかと鷹を括っていた。ところが、店員さんに見てもらうと、どこもかしこもボロボロで、直すより新しい自転車を買ったほうがいいですよ、と診断された。寿命がきていたということだった。

自転車を一旦持ち帰った。この自転車はタケシと名付けてた。本当に、よく働いてくれた。私はこのまま彼を看取ることにした。

タケシとの出会い

タケシと出会ったのは、2016年あたりだったろうか。神戸時代。元町の広告代理店に、人生で初めて正社員として働くのが決まった時だった。

後々、実家の会社を受け継いだとき、ネットを使うだろうからと、webデザイナーを目指していた時だった。六甲道にあった洋菓子の会社のEC部門でバイトとした働いていたが、正社員として働くのは無理だと上司に告げられていた。

当時、付き合っていた彼女の親御さんとお会いして、正社員になって欲しいと請われた。彼女からも。

広告代理店では、校閲部門を受けた。広告の原稿に間違いがないかチェックして、印刷会社に入稿する仕事。webデザイナーの夢は諦めて、正社員になることを目指した。


面接の時、月に何回か深夜に働くことを告げられていた。夜10時に出社して、朝7時に帰宅。営業さんとデザイナーさんから降りてくる原稿を前倒しで入稿するため、という理由だった。

朝出社の日も、終電を回ることはよくあったので、自転車を買うことにした。住んでいた阪急王子公園から元町まで3駅分走る。1時間くらいかかったろうか。自転車は好きだったので、あまり苦ではなかった。

元町の大丸近くにあった自転車で、3万円くらいの国産クロスバイクをローンで購入した。サイズが小さかったので、187センチの私に合いますか?と店員さんに聞いたが、そんなことないですよ、と返ってきたのでそれに決めた。あまり迷わなかったのを覚えている。

津山から神戸に出戻りするとき、イタリア製の自転車を持って行ったがすぐに盗まれた。「昼はナランチャ、夜はブチャラティ」という名前だった。それ以来だったので、確か一年半ぶりの自転車だった。

昼はナランチャ、夜はブチャラティの乗り味は大らかで、私の性格に合っていた。対して新しい自転車は国産らしく、小回りが利いて、真面目な印象だったので、タケシと名づけることにした。

以降、タケシは出社にも、プライベートにも、どこでも真面目に私に付き合ってくれた。私と違って頑丈なヤツだった。

先輩のタムさんがスケボーに乗って、夜の元町を一緒に走った。日中、あんなに人で溢れかえっている元町も、夜になれば静かだ。日が沈んだ神戸の道路を走るのは気持ちよかった。



津山に帰ってきてからも、活躍してくれた。自宅からアートギャラリーのPortまで通勤でつかっていた。

店を始めてからタイヤがパンクしていたことがあって、丹後山のつばさくんに預けていた。

旅路

いろいろあり、津山を出ることにした時、つばさくんが気を効かしてくれてタケシを修理してくれていた。

新宿から三崎まで、半日かけてタケシで向かった。東京を自転車で走るというのはなかなかない体験だった。東京は自転車の道路標識がしっかりあって、走りやすい場所だった。だが、入り組んで抜けにくい。東京を脱出するのに2時間はかかった。

渋谷の裏路地
森戸海岸への小径。印象に残っている場所。

神奈川に移住してからも、大活躍だった。三崎から鎌倉に向かうときも、タケシと一緒だった。

三崎から三浦を抜けるまでが坂道で、そこが1番の難所。そこを越えれば、あとは下り。初声を抜けて、海上自衛隊駐屯地がある林交差点へ。そこまで来ると、自分の中で半分まできた、という心持ちだった。

佐島の小さな坂道を越えると、やっと海がのぞめる。立石海岸だ。いかにも日本らしい、美しい岩のある場所。泉鏡花の碑がある。ここに来ると、いつも「ああ、生きててよかったなあ」と思ったものだった。

立石海岸の次の、秋谷海岸。初めて鎌倉に来た時もここにきた。横須賀にきてからはあまり通らなくなった。

鎌倉が好きだったから、神奈川を選んだ。こちらに来て、海際を走る喜びを知る。苦労して山を抜けて、燦々と輝く一面の海を見晴らす。その時の達成感は、味わったことのないものだった。

長者ヶ崎をこえて、葉山へ入る。御用邸がある一色。森戸海岸を経て、逗子へ。逗子は明るいトーンの海岸。暖かい場所。

葉山元町の交差点にあったテイクアウト専門の珈琲屋さんの前で、タケシと。

小坪トンネルを抜けると、さあ、鎌倉。鎌倉に入った瞬間、空気が澄んでいることを体感できる。水曜どうでしょうのカブの旅で、鎌倉に入ると大泉洋が気持ちいいねえと呟くシーンがあったが、とても共感できた。自転車で長旅をすると、その土地土地に空気感があり、それがシークエンスのように移り変わるのがよくわかる。

三崎から横須賀に移る時も、働いてくれた。三崎から横須賀までの移動費が往復で1000円かかる。勿体無いから、タケシで行っていた。

横須賀までの三浦海岸側も、湘南に負けず劣らず気持ちのいい道だった。それに気づかさせてくれた。

一度、武山から須軽谷を抜ける三浦海岸までの道を夜走ったことがある。Googleマップではわかるが、田んぼしかなく、夜になると真っ暗で、不気味だった。

三浦海岸に着いたとき、光輝く三浦海岸のマンションを見ながら、タケシ、お前とはいろんなところに行ったなあ、と話しかけた。

最後の最後まで

横須賀にきてからも、去年の冬、鎌倉へ通っていたとき。朝5時半から衣笠駅までの通勤につかっていた。あの時は寒かったよなあ。横須賀に来たてで心もとない頃だったので、衣笠の駐輪場のおっちゃん達がしてくれる毎朝の挨拶が、心に沁みた。タケシは雪の中でも待ってくれていた。

上山口から葉山の一色までよく行った。タケシとの最後の旅は、葉山ということになる。

神戸、津山、三浦と横須賀。この一年はバタバタだったので、はからずとも三浦半島を制覇することになった。

よく働いてくれた。特にこの一年は、本当に助かった。

自転車屋の店員さんによると、タカシのサイズは私にはとても小さいものだったらしい。これ、小6の男子が乗るくらいな奴ですよ、と言われた。

元町の自転車の店員め、と思ったが、私はタケシと出会えて良かった。

タケシはいま、庭に置いてある。直してもボロボロの状態で、危ないとのことだった。サドルが外れてることによって、私に知らせてくれていたのだろう。最後の最後まで、私を助けてくれた。

処分に出すまでの時間、ゆっくり休んでくれ。生まれ変わっても、また一緒にいろんな景色を見よう。

この2年、辛い別れが多かったけど、ここにきてまたひとつ。

6年間、いろんなとこに運んでくれて、ありがとう。楽しかった。

みなさんも、身近な道具は大切にしてやってください。