マネからAI、そしてわたしへ

ともだちのコーキに、店に飾る絵を描いてもらった。

コーキはMUDYSIC’Sというバンドでギターボーカルをやっている。作詞作曲も手がけていて、持曲の歌詞を見せてもらったことがあった。

コーキの歌詞は、心情を吐露を第一にするのではなく、世界をつくって、その比喩に魂を込めているような、変わった詩の書き方だった。

スターウォーズにデススターという惑星が出てくる。作品の大筋には出てこない設定がある。その設定に命をかけてるような。いわば、言葉を紡ぐ舞台装置職人。

そんなコーキが、絵を描きたいと言ってきた。オッケー、じゃあ描いてよ。と約束した。お互いに忙しかったので、約束してから実行まで1か月かかった。ある日の店の営業のあと、夜7時に彼はやってきた。

AIを手放せ

彼は横須賀中央から富士見町まで歩いてきたらしい。30分はかかる。道に迷って、電話をかけてきた。何度か店に来たことはあったが、横須賀は道が迷宮のように入り組んでいる。忘れることもあろう。大きな道まで戻ってもらって、迎えに行った。店にたどり着いた。

照明を2つ灯して、だれもいない客間に彼を通した。青い珪藻土で塗られた壁に、白く塗った床。窓を開けると、風が気持ちよく入り込んでくる。

スパイスカレーと珈琲を注文してくれた。コーキが私のカレーを食べるのは3回目だ。今回たべたのは、レモングラスのポークカレーだった。前回よりパンチが効いている、と感想をくれた。

世界一周ソムリエの西ガーミーに、調和をしてないといわれ、1か月にわたりスパイスカレーの検討と調整を行った。毎日スパイスカレーをつくった。

検討の中でつかったのが、フードペアリングという、AIによって素材の良い組み合わせをつくるシステムだった。例えばトマト缶にアンズが合うとか、フレッシュトマトに桃を合わせるといい、など。

試したことがない素材の組み合わせによって、スパイスカレーが格段に進化した。

だが、コーキは私に言った。

「AIに頼るなんてお前らしくない。もっと感覚でやれよ」

私の1か月の努力をむざむざ放棄しろ、と彼は言うのだった。珈琲にしろスパイスカレーにしろ、いままで感覚でやりすぎていたので、論理が必要なので、フードペアリングを導入したのにも関わらず。

しかも私は別でもAIを楽しんでいた。midjourneyという、AIによる画像生成サービスだ。

これに関しては、面倒な問答になるだろうからコーキには話していない。

ともかく、私はわかった、と返答した。AIによってもたらされた知恵を使わないことにした。

残ったのは、分量の調整だった。例えばトマト缶とアンズを合わせるにしても、アンズが多すぎるとわざとらしい組み合わせになってしまう。

ところが、ホールトマト2個に対しアンズを半個の比率にすると、トマトが驚くほどジューシーさを増す。

〈No.13〉のアイリッシュコーヒーで気づいたことだった。野口さんは、珈琲とウイスキーの分量の調節に相当時間をかけたようだった。

新しくなったスパイスカレーをコーキは美味いといってくれた。

今後は、もしかしたら彼に秘密でこっそりAIの知恵を使うかもしれないけれど。

世界が生まれる


スパイスカレーを食べ終わったあと、コーキは絵を描き始めた。西ガーミーがうちに置いていったまな板をキャンパスにした。

置いてる間にかびてしまっていて、干してなんかに使いやあ、とガーミーは言っていたので、キャンバスに使うことにした。

まず、まな板を白く塗りつぶす。その上に絵を描く。色は3種類。濃度違いの青いペンキが2種類と、野口さんにもらった金のスプレー。

青いペンキは固まっていたので、紙皿にお湯で溶かして、スプーンで濾した。さしものゴッホも、絵を描くのにスプーンは使わなかったのではなかろうか。

放っておいた紙皿に塵が溜まっていた。それをきちんと洗ってくれ、という細かさに、コーキの作り手としての矜持が現れていた。

まな板のキャンバスを前に、しばらく腕を組む。構成から考えていた。床にペンキが落ちないよう、キャンバスの下に使わない戸襖を敷く。

筆を買ってきたが、ほとんど使わず、スプーンとペンキのハケで絵を描く。ハケでぽとぽと、ペンキを垂らす。世界が立ち上がる。垂れていく青ペンキに意味が生まれていく。

私は人が絵を描く瞬間を見ることはあまりなかった。0から1を生む。それは感動を生むものだった。無心になって、世界をつくっている。

前の店のお客さんが、2歳くらいの子供が絵を描いている様子をインスタのストーリーにアップしていた。「自分だけの世界をもっていて、うらやましい」と書き込んでいる。

コーキもいま、世界を作り上げている。しかもこの絵は、店の玄関に置いてたくさんの人に見られる。つくりあげた世界を、みんなで共有する。

もしかすると、世界というものは存在していなくて、それぞれが持っている意味を共有しているにすぎないのかもしれない。意味の場があるだけ。

左隅と右隅に青を配置して、真ん中に金のスプレーを塗った。思ったより輝いてなかったようで、コーキはしくった、と言った。そこから修正がはじまる。

2時間は描いたのではなかろうか。絵ができた。

『碧のはじまり』

金のスプレーで失敗した箇所に、深い青を垂らした。これは三浦半島を表している。右は海、左は空。東京から横須賀に越して、半年近く三浦半島を仕事でかけずり周った彼の絵だった。

この絵に名前をつけてよ、私がリクエストすると、彼は『碧のはじまり』と名付けた。この店の名前がhatis AOとは、彼は知らなかった。偶然の筆致。

横須賀をえがく


私も三浦半島に住んで、もう1年以上が過ぎた。自転車で、いろんなところを回った。この絵に通ずる何かを感じ取っていた。

コーキに、お前も絵を描いたら、と言われた。midjourneyで画像を生成していくうちに、人間が絵を描く意味を見出せたので、描きたいという気持ちが湧いてきた。キャンバスの下地にした戸襖に、翌日の夜、絵を描いた。

『花と波』

コーキに倣って、私なりの横須賀を描いた。海の波と、花と、山。

描いているうちに、自分の思考が絵から離れているとこで進んでいることに気づく。津山であった嫌な人のこと。もう会わない人のことが思考にこびりついていた。

ああ、自分はこんな、もうどうでもいいことを考えていたのか。

絵は自分を気づかさせてくれた。

さらに翌日。次の仕事の登録で川崎に行くことになり、ついでに練馬区立美術館で催すマネ展に足を運ぶことにした。

マネは好きな画家だが、書物でしか絵を見たことがない。せっかくなので、実物を目にしておきたい。

練馬区立美術館。時間があまりなかったので、駆け足で見周った。展示の最初に、マネの絵があった。版画でもレプリカでもない。本物だ。

松の木だろうか?秋谷の立石海岸のような、美しい海岸の絵だった。近くで見ると、筆の跡が見てとれた。絵の具が歯ブラシ粉みたいに付着している。

ああ、マネって生きてたんだな。その筆の跡に、マネがかつて生きていた証を見た。紙の上だけの存在じゃなかったんだ。彼はたしかにそこにいた。200年くらい前に彼はパリで生まれた。200年後くらい後の東京で、岡山で生まれた私に、生きた息吹を感じ取られている。

コーキの絵も、私の絵も、200年後に誰かが見て、何かを感じ取ったりするのだろうか?

私も、コーキも、マネも、海と空を描いた。3人とも水瓶座だ。絵とはなんなのだろう。世界の表象、以上の意味の場が生まれている。

絵とは、私たちが考えているより、もっと複雑な意味があるのではないだろうか。

花と波の絵を、AIにも描いてもらおう。