観音崎ホテルの終わり

神奈川県横須賀市にある観音崎京急ホテルが令和4年、長月をもって終業した。昭和60年に創業され、37年に渡り、長く営業を続けた、老舗だった。

私が昭和61年の如月生まれなので、観音崎ホテルとは同級生。人間では37歳はまだまだこれからという年齢だが、ホテルではベテランにあたる。

ファイナルブュッフェ

同僚のサウザンドクレインさん(仮称)と田浦で働いていたとき。

なにげなしに手に取ったパンフレットに観音崎ホテルの名前が掲載されていた。たしか横須賀市内でクーポンがつかえる飲食店のリストだった。

私とサウザンドクレインさんでそのリストを眺めていると、ふと、観音崎ホテルが目に止まった。

観音崎ホテル。私が横須賀に来たての頃、夜に自転車で観音崎公園に向かったことがある。

よこすか海岸通りを富士見町からまっすぐ直進するだけのシンプルな道筋。だが、走水あたりになると人気も明かりも少なくなり、道も薄暗くて怖かった。引き換えそうかと考えたくらいだ。

海は真っ黒だった。横須賀のアメリカ軍基地か横浜かわからないが、向こう岸に眩しくライトが点灯しているのが見える。漁師さんが船で準備をしている。この人達はこれから仕事なのだ。

曲がりくねった坂道をすすんでいくと、一際ライトアップされた施設を見つけた。それが観音崎ホテルだった。

なんでこんなところにホテルがあるのだろう、とその時は思った。

観音崎ホテルのホームページを見ると、ファイナルブュッフェ、と銘打たれた特設ページができていた。

バターチキンカレー、三崎鮪のめかぶ和え、コンビネーションサラダ、棒棒鶏、トマトと茄子のミラノ風グラタン。いかにもホテルらしい、和洋折衷の、魅力的なメニューが並ぶ。

「ファイナルブュッフェということは、観音崎ホテルはこれで終わりということですよ。サウザンドクレインさん、行ったことはありますか?」

「いや、ない。」

「それじゃあいってみましょう」

そのファイナルブュッフェということばから、観音崎ホテルが廃業することを知った。

私もサウザンドクレインさんも横須賀生まれではない。何かの縁か、同じタイミングで横須賀にいるので、記念に行くことにした。

街の歴史を眺めながら



一週間後、平日の水曜日。お互いの休みを申し合わせて、サウザンドクレインさんに予約をとってもらった。

秋晴れの日だった。浦賀のサウザンドクレインさんの自宅まで向かい、車で観音崎ホテルへ向かう。いくつかのトンネルを抜け、15分ほどでたどり着いた。

ホテル内に入ると、ロビーは年配の方で一杯だった。受付を見ると、関東学院大学の同窓会があったらしい。

加えて、昔から観音崎ホテルに通っているお客さんが来ていたのではなかろうか。

地元の岡山県津山市の、津山国際ホテルという老舗ホテルで働いたことがある。

怒られた記憶しか残っていないくらい、厳しい職場だった。華やかな世界に見えて、とても泥臭い仕事であることを知った。

ホテルはその街の顔役や、同窓会、小さな家族な集まりなど、大小問わず様々な宴会が催される。

1年ほどしか働かなかったが、なんとなく津山の権力図のようなものが見えた。

だから、歴史あるホテルというのは、その街の歴史をよく見ている。

入れ替え制で、13:30にスタート。先に着くと、青いワイングラスが運ばれてきたサウザンドクレインさんが、これはなんだろね、と言う。よくわからないのでソフトドリンクを入れたが、どうも水を入れるようのグラスだったようだ。

水を入れるグラスひとつとっても、このホテルの美意識がみてとれた。

お盆を持って、ビュッフェを取りに行く。

こういうホテルのビュッフェは、採算をとるために出来合いのものを温めるだけのものも多い。が、観音崎ホテルのブュッフェは手のかかった料理がたくさんあった。

そうめんがあったのだが、おつゆが出汁を取り、ちゃんと作られたもので、それに感動した。

驚いたのは、カレー。私も店でスパイスカレーを出しているが、かなりこのホテルのカレーは美味しい。

ブラウンラージャンブーカレー。インド風海老のカレー。牛スジのマッサマン。バターチキン。かなり凝ったカレーが数種類ある。中でも、ホテルカレーという、スタンダードなカレーが1番美味しかった。スパイスの刺激や辛味はないが、マイルドで優しい、気品のある味。

白髪の生えた男性スタッフが、手押し車を押しながらお皿を片付ける。この方たちは、観音崎ホテルを支えてきたんだろうな。街の歴史を眺めながら。

椅子やテーブル、照明ひとつとっても、年季の入った、価値のあるものばかり。

おわりははじまり

壁に飾られていた絵。
この絵も、多くの人に見られ、多くの人を見てきた。


歴史が終わる、というのは悲しいことでもある。何の因果か、横須賀の新参者の私が、終焉を見とることができた。

お疲れ様でした。敬意を表して、心の中でつぶやく。

俺もこれから自分の店をがんばるよ。

食べ終わったあと、ホテルの裏のウッドデッキを歩いて、横須賀市立美術館の常設展を見る。

晴れていると海が綺麗で、空が澄み渡っている。今時らしく、グランピング用の施設も見かけた。

なぜここにホテルを建てたのかがわかった。

観音崎京急ホテルは、来春、別の会社が引き継いで新しくオープンするらしい。

ひとつの終わりは、ひとつの始まり。観音崎京急ホテルの歴史は、ずっと影響を与えていくに違いない。