湘南移住記 第201話 『感覚の帰還』

月曜日。夜は寒くなってきて,寝るときは窓を開けていたが、閉めることが多くなってきた。

遠くで蝉が、まだ鳴いている。鈴虫も現れ始めた。夏と秋のグラデーションの時節だ。

〈鈴木水産〉で買った刺身用のあじをさばき、余った頭やおっぽを庭に放っておく。すると、この家にすんでいる先輩猫が回収しにくる。魚にめざとい先輩猫を勝手にジルと名付けた。

ブラジルの音楽家、ジルベルト・ジルからとった。MPBや、トロピカリアなどのムーブメントを牽引し、果てはブラジルの文化大臣にまでなった人物。

猫のジルはたぶん屋根の上にすんでいて、たまに顔を見せる。私より先に住んでいる先住民なので、食べ物があれば分けている。生きていくのは大変だけど一緒にやっていきましょうや、というシェア。

ジルは、魚をあげた日の夜はきまって屋根上でドタバタしている。魚を食べれて興奮しているのだろうか。人間が焼肉屋を予約すれば、気持ちが高揚するのと一緒だろう。

ジルのドタバタ音には慣れてきたものが、性格が怖がりなのでどきどきした。心臓が痛くなった。

離人

保健所対策で、台所の掃除。作業の比重は重くはないのだが、やりだすとこまごました作業が多い。

ステンレスにこびりついた錆が落ちにくい。重曹をお湯に溶かして、雑巾でこそげ落とした。調べてみると重曹をお湯に溶かさずに直接かけるとより効果的らしい。

どうしても汚れの落ちない台所下の棚戸は、白のペンキで塗り直した。

掃除をしていると、不思議なことがおこった。

感覚がもどってきた。

感覚がもどる、というのをどう説明すればいいだろう。

20代の半ばから、何も感じられなくなった時があった。音楽を聴いても感動しないし、ある人とコミュニケーションをとっていても、コミュニケーションの最中に、その人であると気づくというか。

普通に日常は過ごせているのだが、すべてが別の自分に自動的に任せていて、常に心ここにあらずだった。

自分を、だれかに任せている感じ。

離人症の症状に似ていたのだが、どうにも説明しようがない。仕方ないので、そのまま過ごしていた。

勤め人時代、眠れなくなり精神科医を受診して、睡眠薬を服用したことがある。眠られるのは眠れるのだが、代わりに日中いつも体がだるくなってしまった。元の木阿弥なので、止めた。

父も長らくパニック障害と鬱病を患い、薬を飲んでいたが、副作用はあったのだろう。

病気というほど重大でもない。感覚や感動がなくとも、仕事もできるし、生活のルーティンは営める。人間は機械的でもある。

神戸から津山にもどり、店を開いてからその症状は軽くなった。曲を聴いても、「あっ、音楽や!」とわかるようになったし、その曲の世界に没入することができた。

なにも感じなかった期間があった分、音楽を聴き始めた頃の自分のように、音楽を聴いた時の感動が大きくなって、たのしかった。

ある朝。起きて、作業の前に、珈琲を淹れて飲んでいると、変化に気づいた。この店の、この場所の奥行きがわかる。

存在


空間の奥行き、この建築物の存在がくっきり伝わってくる。

虫歯の治療で、歯の神経をいくつか抜いたら、嗅覚がもどってきた。

その感覚も併せて、秋の気配に、神戸を思い出した。神戸に住んでいた時の季節の変化。気温や湿度の具合。

もしかしたら、横須賀は神戸と気候条件が似ていたのかもしれない。

昔を思い出して、心が蘇ってきたような気がした。

店が具現化できる、となった時、焦りがなくなり、心が落ち着いてきた。あるいは、台所の掃除をしながら、心の整理も進んでいたのか。

原因はわからないけど、状況の進捗とともに、自分の心に変化が現れた。

その夜。この店はなんか親戚の家みてーだな、と感じたのか家族と親戚の家に泊まる夢を見た。父と祖母も出てきた。

起きる。妙な夢だな、と頭がはっきりしてくると、そうだ、父と祖母は亡くなったのだ、と思い出した。

一年半前。店を閉めたのも、そこからが始まりだった。お父さんもおばあちゃんも、もういない。現実として受け止めていたつもりだったが、どこか現実感がなかった。時間が経って、今やっと飲み込めたのかもしれない。

あれから、2年近くも経ったのか。

お父さんとおばあちゃんがなにかを伝えにきてくれたのかな。

ネクスト

怒涛の2年だった。


父と祖母の葬式、親族とのお金にまつわる出来事、閉店と移住の決意、いっしょに生活していたパートナーと猫とのお別れ、三浦から横須賀への移住、店の再オープン前に体調を崩すなど、本当にたくさんのことが起きた。

なにかあったとき、自分1人で動いて、状況を切り拓くということはできた。

誤った判断もした。

その上でわかったことは、自分1人では限界があるということ。

幸い、多くのご縁に恵まれた。その事は、自分が持っている強運のひとつだった。

ただ、判断に関しては、感情を交えず、冷静に下さないといけない。怒りや焦りに囚われてしまうと、気づかずにおかしな行動に出てしまう。人間のおもしろさではあるのだろうけど、客観的によろしくはない。

次は、計画。台所の掃除ひとつとっても、今日はここまでやろう、以上のことは出てくるが日にちと作業量に目星をつけて進める。

一時がんばる、よりも、毎日すこしずつ進める。地道にコツコツやる、というのは結果的にそうしたほうが作業が効率的、という先人の知恵なのだと思った。

がんばるとは結局ある種のキャパオーバーなので、代償がある。短期的にみるといいが、長い目で見るとどうだろう。

あと、なんだろう…。ここには導かれるように来たのだな、と感じた。自分の親族はお金を持っていたおばあちゃんに頼る人が多かった。私も前の店は持ち物件でしていた。

安全な範囲で生きていると、成長がなくなる。こどものまま大人になったという人が何人もいた。自分も含めて。

その甘さを、野口さんに教えてもらった。

今は色んな人を巻き込んでるし、その責任もある。自分が壊れるわけにはいかないので、体調もよくしていかなければいけない。

この店がオープンできれば、周りの状況も進捗する。

2回目なので、ちょっと怖さも出てくる。やるけど。

感覚が戻ってきてよかった。生きてる。というシンプルな実感がある。店でだす珈琲もスパイスカレーも、風味に奥行きがでることだろう。

では、作業に戻ります。ゴーで。ゴーゴゴー。