湘南移住記第195話 『久里浜の風』

土曜日。午前中は雨だった。洗濯物を取り入れる。午後から快晴。

〈海の向こうコーヒー〉さんで注文したインドネシアの生豆を受け取った。1kgあたり1200円と、随分安かった。受け取り後に生豆の情報ページをよく読んでみると、インドネシアの会社から買い付けしたものの、生豆の保存状態が悪かったらしく、安い値をつけているとのことだった。

〈海の向こうコーヒー〉さんは、それでも珈琲豆の生産者のためになるようにと、安値で提供してくれているらしい。〈海の向こうコーヒー〉さんは、儲けの配分がほとんど入らない珈琲農園に尽力している。商品ページの文章、写真にその気持ちがとてもよく現れて

店をやる側としては、質と値段の天秤を見極めて仕入れるべきだが、真っ当な商売をしているところを見極めてから注文したい。ある種の応援だ。

久里浜へ

今日から四連休。客室の改装を一気に仕上げる。テーブルの仕上げをする。雨漏りをしていて、ボロボロになった天井の板をはがそうとしたら、天井裏がみえるくらいに板が取れてしまった。

床に散らばった板を見て、「うわっ、もう本当にまじ疲れた!」と感じてしまった。

体もくたびれているし、思い切って半日休むことにした。

奇門遁甲で南東の方角が吉運だったので、久里浜まで出かけた。

久里浜へ到着。〈万葉の湯〉という温泉へ行き、サウナに入ることにした。〈万葉の湯〉は神戸駅にもあったが、同じ系列だろうか?

かなり古い建物で、錆びたファンや、ボロボロになった箇所が目立っていた。2階の男湯の途中にある階段に、この店を描いた油絵が飾られてあった。

サウナ付きタオル付セットで920円。佐野町の〈のぼり雲〉が高いように思えたが、施設の広さや綺麗さなど考慮すれば、素晴らしい価格ということがわかった。

黄金の道

サウナに入る。和彫のはいったヤクザさんが1人、先客でいた。〈のぼり雲〉では刺青の人をあまり見かけない。

神戸時代、私が暮らしていた阪急王子公園駅では、〈灘温泉〉という名物銭湯があった。六甲が近く、山口組の本家がある。〈灘温泉〉のサウナではヤクザをよく見かけた。

山口組の本家が近くにあったので、銭湯に来ているヤクザは幹部クラスということになる。役職についている方は、総じて礼儀正しい。サウナ内で、一般の人とヤクザが仕事の話をしていることが日常だった。

実際、六甲まわりの街ではほとんど問題が起こらない。治安は、むしろ良い。伊川谷の方が悪いくらいだった。

ヤクザさんも、こちらから失礼がない限り、ほとんど素人衆には迷惑をかけない。

むしろ、警察が傍若無人な態度で嫌いだった。インフルエンザをひいていたとき、水道筋商店街の交番前にいた警官に、「うつさないでくださいね」と対応されて腹が立った覚えがある。



サウナで脳に溜まった悪い血を入れ替える。露天風呂に出て、空を見上げる。

気持ちが入れ替わるようだった。夏の風が久里浜の空を泳ぐ。鳥が飛んでいる。

ふと、謙虚になろうと思った。将棋アプリで負けがこんでいて、将棋が嫌になってきた。アマ3段の方のページを見ると、「将棋を楽しむには、自分の弱さを認め、他人と比較せず、勝ち以外に目を向けること」とあった。

私たちは小学生の頃から他人と競争させられ、比較されてきた。それはもう、いいんじゃないか。人それぞれに生き方はちがうし、個性もある。

そう考えると、気付かぬ内に自惚れていたようだった。心に巣食っていたエゴが小さくなったようだった。

エゴが小さくなると、自分も他人も尊重することができる。

これから私は経営者の道を歩む。黄金の道のりになるように、謙虚に生きていく。

もう、やめよう

帰りに、〈jahjah酒場〉に寄った。タイトルが素晴らしく、以前から気になっていたお店。ランチを食べに行こうとしていたが、飲みに行った。1人で飲みにいくなんて、4,5年ぶりじゃないだろうか。

お金のほとんどをお店のオープンのために使ってきた。自分のために使うのは、ひさしぶりだった。

店内は薄暗く、メニュー壁が埋め尽くされている。テレビで甲子園の中継をしている。私の他に、2組の客がいた。

横須賀は昼から空いている飲み屋が多い。昼飲みの文化が定着しているのだろう。

生中を頼む。サウナ後なので、これほど美味しいものはない。佐島から仕入れた赤イカの刺身をたべる。横須賀は海鮮が本当に美味い。

店主さんと常連の会話で、バイエルンに移籍が決まりそうな、サガン鳥栖所属の福井太智選手の話が上がっていた。久里浜出身らしい。久里浜のフットボールクラブに属していたが、ファーストタッチから才覚を匂わせていた、と話していた。

赤イカの刺身に合わせるため、日本酒を頼んだ。奈良の〈春鹿〉。爽やかな飲み口。

短冊のようにメニューが飾ってある壁を眺めると、この店の決まりごとが書いてあった。一、失恋話をしない。一、二日酔いをしても翌日仕事に行くべし。一、店の名物、から揚げは必ず食べるべし。

横須賀の人は昼からホッピーをよく飲む。人間臭さが滲み出ていて、いい街にきたものだと、甲子園の試合中継を聴き流しながら想った。どちらかが負けてどちらかが買ったのだろうが、さほど意味はないだろう。

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店を出る。駅前の京急ストアで、ビスケットアイスサンドと、カレーの仕込みに使う豚肉を購入した。五割引だった。上町の京急ストアでは最大四割引で、五割引ということがない。京急ストアでも店舗によって違いがあるのだと知った。

飲んでしんどくなった。私は酒に弱い。楽しむにしても、ほんの少量でいい。

1人飲みを愉しみにすることは、私の人生ではやめよう。快楽が刹那的すぎる。