湘南移住記 第187話 『夕空の瞬間』

金曜日。昨夜から雨。横須賀は風が強く、台風がきたかのように家屋からギシギシと悲鳴が上がる。

治りかけ

出勤したものの、ひさしぶりに結石の痛みで早退。このところ、痛みの波が落ち着いていて、もう石が出てしまったのか?と訝しんだ矢先だった。

ただ、痛む箇所が下腹部から尿道間近になってきた。つまり、石がもう出かかっているということ。漢方が効いているのだろう。

漢方を服用して3日ほど経つが、たしかに尿が出やすくなる。願わくば、結石を溶かす薬の効果も出ていて欲しいところだ。

もうひとつ気になったのは、出勤した時に『疲れているね』と言われたこと。

無心になる

この慢性的な疲れはなんなのだろう?丹後山アパートメントで出会った姫路の占い師さんが言われたように、考えすぎが原因か。

思考が十分の一でちょうどいいと言われた。

考えるにしても、不安からくるネガティブな妄想で、現実にならない取り越し苦労がほとんどだ。

また、過去にあった失敗を反芻していたり、出会ってない人と頭の中で会話していたりする。

ふと俯瞰で見ると、思考が危ないんじゃないかと思った。被害妄想を掻き立てすぎかのではないか。常に自分が自分を責めているような感じがする。

庭仕事をしている時はなにも考えない。自然を観察したり、無心に草むしりしている。日が長くなって、ただ夕空を見上げる時もあった。

自然は情報が多い。生い茂っているドクダミの下を、団子虫や蟻が往来している。アップルミント、タイム、シソを育てている。

私に必要なのはこういう瞬間なのだろう。

ある感覚実験をした。

安浦町の銀行まで家賃を振り込みに行く。歩いて15分ほどの道のりだ。その間、なにも考えないというルールを設けた。

普段は、歩きながらもなにか考えている。

すると、ひとつの変化に気づいた。県立大学駅高架下の狭い歩道で、私の前方に幼い女の子とすれ違いそうになっている。狭いので、どちらかが左右に寄らなければならない。

何も考えていない私は、このままではぶつかってしまうと予見し、右に逸れた。女の子もそれを見て、左によけた。

いつもの考えに没頭している私は、そこまで周りが見れていなかった。

そう、自分の考えに夢中で周りが見えていなかったのだ。それに気をつけなければいけないのではなかったのか。

思考をオフにするといつもの道も、洗濯物を干しているのが見えたり、急に視界が広がった。

こんなにも違うのか。

何も考えない、というのは悪いことではない。むしろ、本当に考えるべきことを見失い、妄執に囚われていた。

目の前に現実がある。

どうも、ひさしぶりに意志的に動いた気がした。それくらい、無意識に囚われていた。

今月、支出が増えすぎていた。15万円に迫っていた。病院費×2のほかに、母の祝い、弟への出産祝いなど、人のためにつかえた。

ただ、前みたいに週ごとの予算をきめてお金を下ろすシステムを怠ってしまった。きっちり遣うお金を計算していれば、もっと削ることができる。貯蓄額も増える。倹約を楽しむ。