湘南移住記 第155話 「あれから」

金曜日。しんどい。出勤中、電車内で気分が悪くなってきた。上大岡駅あたりで降りたくなったが、職場までは行くことにした。

職場の最寄り駅に着いてもまだ気分が優れない。早退することも覚悟で出ることにした。体調不全が2週間もつづくと、流石にきつい。

今日の仕事量も程々にあった。昼の2時にピークを過ぎて、なんとかやり切る。デスクチェアに背を預けて、溜息が漏れた。少し目を瞑る。ここを切り抜けたい。

根性出して働く

仕事が落ち着き、隣の席の同僚と話した。人と話すと元気が出る。私は話好きだということを思い出した。楽しかった。

同僚はかき氷好きで、都内や横浜のかき氷屋によく行っている。関東のかき氷は洒落ていて、生の桃をつかったソースをかけるそうだ。メロンシロップをかけたりする店はそうないだろう。

同僚は横浜生まれ横浜育ちの方で、横浜のことも教えてもらった。大阪以前にカジノの計画があったが、利権が絡み中止になったこと。みなとみらいエリアは日雇い労働者が多く、治安がよくなかったこと。山手の外国人居留地にはアメリカの領土があったことなど。

横須賀の米軍基地も日本の領土ではない。教科書も教えてくれない事実だ。それでいいのか、と疑問が浮かぶ。

住む場所を変えると、見えるものがちがってくる。

仕事が終わり、いつもは少し違うコースで歩いてみた。途中、広場で大道芸人がパフォーマンスをしているのを見かける。

両手に縄のような道具を持ち、コマを器用に手繰り寄せながら、天高く放り上げる。落ちてきたところを、縄でキャッチする。観衆から拍手が挙がると、大道芸人には嬉しそうに声をあげていた。そして、次の拍手をもらおうと、より難易度の高い芸を披露する。

その様子を見て、この人小さい頃に大人に注目されずに寂しかったのではないだろうかと想像した。その心の傷を埋めるために、こうやって芸を磨き、人が注目を浴びて、心を埋めようとしている。大道芸人の純粋な声に、子供の魂が宿っていた。

人前に出たい人って、そういう心の傷を抱えていることが多いんじゃないか。

みなとみらいに聳え立つタワー

追浜の〈Lulu〉で同席したお客さんに教えてもらった〈時雨〉で塩ラーメンを食べた。澄み切ったスープの食後感は、爽やかな風が体を突き抜けるようだった。スパイスカレーもそうだが、食べた後の感覚も重要になってくる。

病気中は、食事をつくることも大切なので、外食費がかさんでしまった。肉も食べたし。が、体が欲するものを食べることが療養につながる。

元気になりたい。元気になって働いて、店を始めたい。治る時は一気に治り切るだろう。

あれから

歩いていると、桜木町駅に着いた。ちょうど1年前の今頃、鎌倉の下見に津山から来て、なぜかこの駅にたどり着いた。ここから鎌倉に向かったんだっけ。横浜からだと、鎌倉までの電車賃が随分安いと感心したのを覚えている。

その時は1人ではなかった。まさか1年後に独りになるとは予想できなかった。

見知らぬ地で病気になると、不安が大きかった。津山にいると身内もいるし、なんとかなるだろうと漠然とした安心があとた。この経験は、しておいて良かったなと思う。

あれから1年経ったのか。大変だったけど、なんだかあっという間だったなあ。この駅で多くの人が行き交うように、運命が交差し合った。

すべて、自分の選択の結果。

野毛まで出てきた。野毛は横浜を代表する飲み屋街で、蔓延防止が解除され、街が賑わっている。一杯300円の店もあったり、津山より安い。ホルモン屋、串カツ屋。ジャズ喫茶の〈ちぐさ〉もある。一度飲みに来てみようか。飲みに行くことは、ほとんどなくなったけれど。

ニューヨークの女性アーティスト、ナチカ・ライヤーの『fragment』を聴いた。ディレイの効いたギターをループさせて、どことなくビビオに似ている。私の空洞に、腰を下ろしてくれた。