湘南移住記 第138話 「高尾山」

大阪のトラックメイカー・フィズさんから連絡があった。昔、一緒につくった曲を送って欲しいとのことだった。

それは、私が住んでいた王子公園についての曲だった。だが、今はあまりに心境がちがうので、リリックだけ書き直せて欲しいとお願いし、あたらしく録り下ろすことにした。

だが、録音用の機材を横須賀に持ってきていない。フィズさんがわざわざ使ってないパソコンを送ってくれたが、ちゃんとした環境で録音したいので、レコーディングをラッパーのレイト君に頼むことにした。

レイト君

レイト君は同世代のラッパーで、神戸のスタークラブで出会った。KARというラッパーがレイト君を神戸に呼んで、確かそこで初めて喋った。

私はレイト君の存在を一方的に知っていた。ヒップホップ専門誌Blastに2008年にレイト君の曲が取り上げられ、同世代の中ではかなり早い段階で知名度を獲得していた。

その後、阪神西元町にあったアートスペースで私が初めてイベントを主催した時、ゲストとして来てもらった。レイト君と色々話してみたかったというのもある。

レイト君は父親についての曲を歌っている。亡くなった私の父もアル中だったので、重ねる部分があった。

私が岡山から三浦に移った時も、最初に連絡をくれたのはレイト君だった。当時、レイト君は家を探していて、たまたま候補の一つが三浦海岸だった。

結局、八王子に住むことが決まったようだった。一月に録音の依頼をすると、引っ越ししたばかりでバタバタしていたようだった。店の準備もあったので、二月の今日に行くことになる。

レコーディング

横須賀から2時間かけて八王子に向かった。ちょっとした旅だった。書いたリリックは元女将と猫のことだった。今回の録音で、自分の悲しみの整理したかった。

京急で県立大学駅から東神奈川駅まで出て、JRで乗り換える。そこから各停で八王子へ。初めて町田や相模原を通り過ぎた。

9時半に八王子到着。

横須賀土産を持っていけば良かったが、用意してなかったので千人町の和菓子屋〈旭苑〉で桜餅を買った。朝から開いてくれていて良かった。

本屋の棚を覗いて、外に出てみるとベビーカーを引いたレイト君が待ってくれていた。4年ぶりの再会だった。

歩きながらお互いの近況を話す。とは言っても、Instagramに店の改装の様子を載せていたので、私の最近の動向は知ってくれているようだった。

シェルターのようなお手製レコーディングブース。これはすごい。

レイト君のレコーディングブースに移動し、録りを行う。今回はテーマがテーマだけに、あまり歌い込まなかった。歌い込んでしまうと、生の感情が薄れてしまう。テイクも、レイト君が提案してくれて何回か録り直したが、フロウの細かい部分は気にせずに、感情の表現を優先した。やりながら気づいたが、リズムにビタっとハメるより、ビートに対しラフに空間を持たせる方が性にあっているようだった。

出来上がった曲をレイト君の奥さんに聴いてもらう。どうやら伝わったようだった。嬉しかった。

この曲は、ほぼほぼ自分のために書いたようなものだった。だがここまで誰かに伝わるとは思いもしなかった。自分の表現を、より多くの人に伝えていく。今後の指標となった。

高尾山へ

レコーディングを終えて、レイト君一家と高尾山に行くことに。この1ヶ月、感情を整理しながら店の準備や次の仕事を探していて、それ以外のことをするのはひさしぶりだった。

途中、〈かしわや珈琲〉さんで珈琲をテイクアウトする。エチオピア・グシの中浅煎りを頼む。他にも結構いい豆を使っていたが、350円と良心的な価格だった。しかも焙煎もスキルフル。これはたまらんなあ。

高尾山には初めて来た。というよりほとんど知らなくて、赤塚不二夫原作のアニメ「おそまつさん」で兄弟が高尾山に登る回を見て知ったくらいだった。

高尾山は八王子市にある修験道の霊山として有名で、標高は600メートル。ケーブルカーとロープウェイが通っていて、気軽に山頂まで行くことができる。

お土産屋さんが多い。ソフトクリーム屋、蕎麦屋、天津甘栗売り。京都のような雰囲気があった。登っている途中、レスキューがバイクに乗って出動していた。物々しい雰囲気があった。

ロープウェイに乗る。ひとつひとつの木の背が高く、特別な場所なのだと感じられた。こうやってたくさんの人が東京近郊から来山しているがら本来は気軽には立ち入らない山だったのだろう。

たくさんの観光客が訪れ、賑わいの中、幽玄な木々を眺める。山頂付近に着いて、東京の街並を眺めながら、ホットドッグを食べた。

空白いうか、目の前のことを忘れて時間を過ごすのは久しぶりだった。この機会を与えてくれたレイト君とフィズさんとヒップホップに感謝。

レイト君一家と別れ、八王子で餃子定食を食べた。手作りで旨いし、650円と安かった。古本屋で戸川幸夫の書物を100円で買う。