宮崎駿の映画『風立ちぬ』に、ドイツ人・カストルプが主人公の堀越二郎に、軽井沢のサナトリウムを魔の山のようだ、と例えるシーンがある。
『魔の山』というのはドイツ人作家パウル・トーマス・マンの代表作だ。この作品の主人公の名前がハンス・カストルプで、宮崎駿の引用が推察される。トーマス・マンと堀越二郎は、同時代の人物でもある。

トーマス・マンのことは知らなかったが、風立ちぬで引用されたのを知り、意識し始めた。先週、横須賀の〈港文堂書店〉の軒先で50円で売られていたので、購入した。
〈港文堂書店〉は100年の歴史がある古書店だが、Googleマップにも掲載されていない。はいっていいのかな…と面食らうような趣だが、店主のおばちゃんが明るく、話が合った。夢を持った若者がよく訪れるらしい。
〈港文堂書店〉はブックオフとは違った品揃えだった。妖精文庫という出版物を初めて見かけた。調べてみると荒俣宏が監修した幻想小説の刊行物だそうだ。集めてみようか。
トーマス・マン
行く先はどこなのか。これはわからぬといってよかった。また昨日と同じことだった。破風や尖塔や拱廊や噴水など、妙に厳しく馴染の深いものに、ふたたび自分がぎっしりと取り巻かれているのを見、また、はるかな夢の数々の、やさしくも鋭い芳香を運んでくる風の、あの強い風の圧迫をふたたび顔に感じ取るやいなや、心の上には薄衣と霧の帳がおおいかぶさってくるのだった。
『トニオ・クレーゲル』の一節。日本語訳だとやや冗長になるが、かなりテクニカルな作家だ。淡々とした骨格のある文章に、羽先のような詩的表現を、すいっとはさんでくる。粗筋よりも、文章の端麗さに踊らされてしまう。
トーマス・マンはドイツの資産家の家に生まれた。デビュー作『転落』が認められ、『魔の山』でノーベル文学賞を受賞した。美少年への同性愛を描いた『ヴェニスに死す』が映画化されており、有名だ。
『トニオ・クレーゲル』にも少年愛の描写がある。物語の序盤は、主人公クレーゲルが少年期、男の友人ハンスに恋していた、という場面が主軸になる。
この作品ふトーマス・マンの私小説でもある。物語の始まりの舞台がマンの地元、北ドイツの都市リューベックであることも明らかだ。
つまり、マンも同性愛者の資質が強かったといえる。だが、模範的であろうとした父の影響から、それを抑圧し、異性への恋愛をしていたようだった。作品では抑えきれずに、少年時代の同性愛を描いている。

ヘルマン・ヘッセの『デミアン』とも共通している。ヘッセの自伝ともいえるこの小説は、主人公シンクレールと幼馴染デミアンがキスで幕が閉じる。
ジェンダーが今ほど認められていない100年前のヨーロッパでは、作品に同性愛を認める描写をいれることは、勇気がいる行為だと推察できる。
トニオ・クレーゲルは父が亡くなって、奔放な母は別の男性と結婚し、小説家の道を歩む。女性画家リザヴェータに芸術家としての自我をぶちまけるシーンがある。
若い軍人があるパーティーで自作の詩を発表し、場を白けさせたのを見たことがあって、いたたまれなくなったという。それくらいいいじゃないかと思うのだが、芸術と言ってしまうと高尚であらなければいけないのだろうか。
ゴッホは弟テオへの手紙で、絵がどうしたら売れるか商売の話しかしていない。およそ芸術と呼ばれるもののほとんどは、生活と共にあったと言っていい。
マンも、繊細さからくる、複雑な自我の扱いは大変だったろう。
文章が秀麗なので、とても読みがいがある作品。