湘南移住記 第136話 「強運を纏いて」

今日は、人の話を聞いて、ははぁ、となる日だった。

朝イチから戸塚へ店舗用のシンクを探しに行った。戸塚には大型のテンポス(厨房器具屋)がある。ネットにはいいものがなかった。

途中、鎌倉の元職場へ、岡山のお土産を渡しに行った。

ペルソナ

元職場の統括をしていたマネージャーが対応してくれた。在職時の緊張感と別で話すことができた。同僚のみなさんにもご挨拶をした。

マネージャーと話していて面白かったことがある。この人は理詰めで話す人だな、という印象だったが、素の人格は違うというのだ。本当の自分は、とても感情的だと。確かに、職場でトラブルがあった時、溢れ出る怒りを抑えながら対処していた。

社会人として働いていると、実際の人格とは違う自分も持っておかなければならない。マネージャーは、管理を身につけるために重たい仮面をかぶっているのだろう。別の方から、マネージャーは遊び好きだった、と聞いていて、仕事中の人格と符合しなかったが合点がいった。マネージングの講習を気を失いそうになりながら受けていたという。

すこし仕事をしていてイライラしている時期があって(私が悪いのだが)、マネージャーはああいう人だ、と決めつけていた未熟さを恥じた。みんな、下手をすると私以上に我慢をしている。

私が会社を始めるならば、その人がその人らしくいれる環境づくりをしたい。極度のストレスがなくても生きれる社会。

妙な電話

湘南深沢からモノレールに乗り、大船へ。大船は初めて鎌倉の旅で来て以来、三年ぷりだった。先月に火事があった〈かんのん〉の前を通る。そこから戸塚へ。

結局シンクは見つからなかった。横須賀へ帰ることにした。

帰る途中、妙な電話がかかってきた。

「もしもし、私は横須賀商工会の者です。10年前からあなたに目をつけていました。」

と言う内容で、恐る恐る返答していたが、電話の主の正体がわかって安堵した。

電話の主は、岡山県美作市湯郷で〈Stay BAR〉を経営している忠政さんだった。忠政さん独特のイタズラだ。茶目っ気のある人で、いつもこういうことをしてくる。

忠政さんとは付き合いが10年以上になる。私が20代のとき、津山のホテルで働いていた時の先輩で、本当にお世話になった。仕事がよくできる人で、周りの信頼も厚く、私も尊敬していた。

私がカフェを開いた時も、定期的に来てくれて、珈琲を2杯は飲んでくれていた。

津山を出る時に挨拶をしていなかったので、心苦しく思っていたのだが、実家の母に訊いて連絡してくれたらしい。

忠政はいい調子のようだった。コロナ禍前にビットコインを買っていて、資産を築いたらしい。

「運がありすぎるわ」

とまで言っていた。言い過ぎじゃないかと思ったりもしたが、嫌味がないのが忠政さんで、ホントにそう思ってるのだ。

また、お金を持っても、例えば高級車を買うとか贅沢をせず、謙虚にBAR経営をする、という姿勢が忠政さんのバランス感覚だった。

津山に帰ったら連絡してよ、と言って電話が終わった。忠政さんは終始明るくて、私は活気をもらった。

強運を纏う

電話を終えて、思い直すと、ははあ、これだと思った。

電話の最後に、忠政さんはあることを教えてくれた。「成功する人は、清潔で元気じゃな」と。

忠政さんこの言葉を、ホテル時代の10年前からずっと言っている。清潔もそうだし、元気だ。

この、元気というのが私には足りない。すぐネガティブに陥ってしまう。元気というのは、中村天風で言い換えると、積極的な想念ではないか。

不安が心に巣食っていると、現実に起きてしまう。スポーツの現場では、メンタルが非常に重要視されている。これは、顕在意識の裏側にある無意識の力ではないだろうか。

運がいい人は、けして運が悪いとは言わない。運が悪い、と言っている人が運が悪くなる。運がありすぎる、と果たして言えるかどうか。

運は人間力とも捉えることができる。忠政さんの無邪気さは運気を上げている。

もちろん忠政さんだって不安はある。BARを立ち上げた時も、営業前に自分を奮い立たせていたと聞いた。

ただ、忠政さんは不安に負けない。いつも立ち向かっていた。だから信頼があったのだろう。

だから、私も強運を持っている、と思い込むことにした。店を始めて人がたくさん来て愛してもらえるようなヴィジョンを持つ。清潔感も大事に。

この文章をあなたに読んでもらえるなんて、私は運がありすぎる。