ねこがおしえてくれたこと

私の家系は猫好きだった。亡くなった祖母も父も猫を飼っていた。祖母の初代の飼い猫は「タマ」。白黒の女の子だった。タマのあと、祖母はグレーの雄猫を飼い始めた。名前は忘れた。

どちらの猫も10年以上は生き、祖母と共に暮らした。祖母はたいそう猫が好きで、猫が亡くなったあと、2、3年は引きずっていた。

猫好きの家系


父も祖母に負けず劣らずの猫好きで、まさに猫可愛がりをしていた。母はあまり猫が好きではなく、飼わない期間が長かった。猫を飼う契機は、家の屋根裏にネズミが出るようになったことだ。

父はネズミに恐怖し、子供だった私たちを置いてあまり関係がよくなかった祖母宅まで逃げ込んだりしていた。

最終的には耐えきれず、反対されるのが目に見えていたため、母の許可を得ずにホームセンターに猫をもらいにいった。私と妹を連れて行った。父・私・妹はよくグループを組んでいて行動を共にしていた。母は弟とよくいた。

東津山のホームセンターで女の子の猫を1匹もらった。帰りの車中、名前は何にする?と3人で話し合い、私が「ねこでいいんじゃない」と夏目漱石よろしくな提案をし、すんなりと通ってしまったため、我が家では始終飼い猫には名前がなかった。

連れ帰ると当然母は怒り、父は萎縮した。が、3日もすると母も慣れ、エサをあげるようになった。母は、今もそうだけど、猫はあまり好きではない。かわいがったりはしない。

最初の猫は活発な猫で、木に登り鳥を捕まえたりしていた。しょっちゅう外に出て、父はその度に探し回った。ネズミ対策のために飼い始めたが、次第に猫自体に夢中になっていった。

最初の猫は一年足らずで外に事故に遭い、亡くなった。驚いたことに、父より妹が泣き明かした。妹も猫が好きになっていた。

そのあとに父はまた別の猫をもらってきた。前の猫と違い、大人しく、甘えん坊。私はあまり好きになれなかった。今も私の実家で生きている。長生きしてくれよ、とこの間帰ったときに伝えた。

左端が実家

弱さに寄り添う

父は孤独な人だった。家ではいつも一人でビールを飲んで、ジャズのレコードをかけて、本を読むのが習慣。最近になって、その気持ちが理解できるようになってきた。

いや、私も若い頃から父と同じ習慣だった。部屋で独り音楽を聴きながら本を読む。大人になり、お酒も嗜むようになった。父と同じく酒にアレルギー体質なので、少しでいい。

父も私も神経が細かい。働いていて、普通の人よりストレスの比重が大きくなる。

なんでみんなこんなに音楽を聴かなくて大丈夫なのだろう?と疑問を持ったことがある。周りを観察してみて、私や父はとりわけ繊細な部類に入ることに気づいた。精神が強い人には音楽が必要ないのだ。

もちろん、私たちだけでなく、感性が細かい人はたくさんいる。強い人が7割、弱い人が3割。そのくらいの比率な気がする。

わたしも猫を飼うことになった。<鉄板BAR Ryo〉さんでもらった、兄妹の2匹。

灰色の兄がリプニツカヤ、白色の女の子をアストラッドと名付けた。アストラッドの背中にはハートマークの模様があった。

その後、長毛種の猫が欲しいと考えていたら、縁があってウチに来た。マーレと名付けた。

一年後、アスとマーレの間に2匹の子供が産まれた。ヴィルゴとミウシャと名付けた。

ヴィルゴとミウシャは私が神奈川に出てから産まれたので、一緒に暮らすことはなかった。それでも、産まれて一ヶ月は写真を送ってもらって、一日一日大きく成長していくのを見ていた。

アストラッド、リプニツカヤ、マーレとは一年間暮らした。世話は任せていた部分も多かったが、エサをあげたり、トイレを片付けたり。

あいつらは一日のうちほとんど寝ていたが、何気ない時間を過ごした。

生かし、生かされ

猫に生かされている。共に住んでいたパートナーの言葉だ。一緒に暮らしてみて、本当にそう思う。

飼い猫は私たち人間が世話をする。生き物だから、いろんなことが起こる。

あいつらは勝手に生きてるように見えるが、私たちに気を遣ってもいる。猫たちを生かすことは、猫たちが私たち人間を生かしいるのだ。

布団で寝ていると、アストラッドはぽんと私の上に乗ってくる。人間の言葉は持たないが、それだけで気持ちを伝えてくれた。

リプニツカヤは長兄気質で、近所を徘徊している野良猫のブーと闘って家を守ってくれていた。でも私がトイレに入った時だけ、他の兄弟猫には見られないように甘えてきた。マーレは生意気にも一つも懐かなかった。

彼らは、私たちの存在を全身全霊で全肯定してくれる。人間は、家族といえど、勉強をしろだとか、結婚しろだとか、条件付きの愛情だったりすることもある。

猫はそんなことはおくびにも気にしない。純粋な目で、じっとこちらを見つめる。打算も損得勘定もない。

それに比べると、人間関係は不純なのかもしれない。まず経済が前提としてあって、それを中心に巡っていく。お金を稼がなけれ社会の隅に追いやられる。だから、老人になっても、コンビニで働かなければならない。

人と猫と

私も、どこか自分自身を認める術が欠けていて、存在が不十分だった。人からも、笑われることが多かった。

猫は私を笑わないし馬鹿にもしない。

私も、店を始めてから特にだが、人に敬意を以って接するように心がけた。

人間は完璧ではない。その人のいいところを見ようとした。年下の人でも敬語を使うようになった。

それは、距離感が遠くなったともいえた。今、仕事以外での人にあまり合わないようにしている。コミュニケーションは好きなのだが、自分は案外キャパが狭いことに気づいた。本を読んで、思索に耽り、ここに書き物をして、自分を深めることに時間を使うことにしている。

格好つけずに言うと、独りが楽だ。それでも、会いに来てくれる人は会いに来てくれる。ここ何年かこちらから会いにいくことはしなかったが、連絡を取ったり行動はし始めた。

コロナ以前は人間関係が過剰ではなかったか。仕事が終わってから同僚と飲みに行くのは自分の時間を削りすぎだ。

そんな私にも、猫は寄り添ってくれた。過剰に呼んだりはしなかった。賢い猫たちだったと思う。

自分の中で足りなかったものを、猫たちは埋めてくれた。

飼い猫たちは、引き取り先で違う名前で呼ばれているらしかった。だから、この名前であいつらを呼ぶのはもう私だけだ。

りぷ。アス。マーレ。ヴィル。ミウシャ。

ありがとう。元気でな。

次の場所で、お前たちはもう必要とされとるだろう。

いつも、玄関で帰りを待ってくれとったな。

大切なことを教えてくれてありがとう。血の繋がってない、私の家族。