横須賀中央駅から、くたびれない程度の坂を登ると、上町に出る。長い商店街がつづく、昔ながらの面影がある街。センスのいいアンティーク屋さんがいくつかあって、住民が古き良きものを愛していることがわかる。

上町の〈ホームベーカリー 浜田屋〉。
ドーナツが美味しい。
中央図書館のちかくに、海外のアートブックや写真集を取り扱っている古本屋、〈Amis〉がある。ご主人はかつて東京の〈青山ブックセンター〉に勤めた後、この古本屋を立ち上げたという。
ジョージ・オーウェルの評論集を買った。250円だった。大好きな岩波文庫からの出版。袋にいれてください、と頼むと、ちょうどいい焦げ茶色の袋に入れてもらえた。
天性

ジョージ・オーウェルはイギリスの作家/批評家。ディストピア小説『1984』が有名だ。ヒップホップでも、ブッダブランドのCQが「ビッグブラザー」とサンプリングしている。
私は大学生の頃に、日記をつける習慣がついた。文学か哲学を学びたかったが、父の「男なら四年制の経済学部に行け」という謎の固定観念で神戸学院大学の国際経済学科に行った。
当然、授業は至極つまらない。だが時間は90分もある。週末には三宮に出てクラブに行き楽しかったが、学校ではうまく友達もつくれず面白くなかったので、授業中、ノートにひたすら日記を書くようにした。
傍目からは熱心にノートを取っているように見える。知らない学生に、「ノートを写させてください」と言われたが、「日記です」と断った。
私に言葉の適正があると思わせるのは、おしゃべりと、書きものが好きで、いくらでも続けられるということだ。
先月まで勤めた鎌倉の職場のマネージャーが、「私は本が嫌いです。言葉が好きでないから。漫画ばかり読んでいます」と朝のスピーチで話していたのを聞いて、驚いた。言葉が嫌いな人がいるのか。
ジョージ・オーウェルも、四、五歳のころから詩をつくり、物書きになるだろうと予感していた。天性のものといって差し支えないだろう。16歳のころ、『失楽園』の一節を見て、言葉そのものの魅力、言葉の響きや連想の楽しさに目覚めたという。
こうして彼は苦難と戦いながら
進んでいった。苦難と戦いながら
この2行がオーウェルの背筋をぞわっとさせた。
私も高校の頃から文学に親しんだおかげか、表現のかっこよさがわかるようになった。心への刺さり方。その鋭さが理解できる。
自分の文章を読み返してみて、まだもっさりしてるなあ、と思う。わかりやすく、スタイリッシュに仕上げていこう。

湘南移住記の効果
私はこのブログに『湘南移住記』という連載を続けている。はじまりは100%自分のためだった。遺産相続問題に対して、感情の整理のため。
途中、書き続けていいものかと迷ったが、香草工房の内藤さんに「書き続けなきゃね」と言ってもらえて、続けることにした。
おかげで、ブログのアクセス数は一年間で倍増した。思って見なかった効果も現れ出した。神奈川で新しく知り合った方に私を知ってもらえること。かなり深く書いたおかげで、知り合ったばかりの方に私の内面を知ってもらえる。予想だにしていなかったことが起こった。
もうひとつは、記録として振り返りができること。水星逆行期間に読み返してみたが、判断が誤っていたり、見通しが甘かったことがわかってきた。今からするとどうかと思う判断も多々ある。しかし、感情が絡まりながらも、行動で突破してきた。直す部分は直して、認めてあげたい。
地下室の手記から
批評家の秋山駿が、若い頃からノートに書き続けた手記をまとめた『地下室の手記』という本がある。

素晴らしい装丁の本。マットなグレーに、銀文字のタイトルが施された外箱。深いダークグレーのカバー。
内容とは別に、秋山が同じく批評家の富岡幸一郎との対談が収められた小冊子がついている。この対談での秋山が語りがとても興味深かった。
こういう考え方のところに欠けているのが、誰も読んでくれない言葉を書くのは何かということなんだ。それが日本には欠けている。言葉は社会性だけじゃないよ。自問自答の、自分一人でだけの言葉があるんだ。一人で死んでいくときにも言葉が要るだろうという言葉の側面がたどられてないね。
秋山駿
私に似たようなことをする人がいたものだと思ったが、この結論には驚いた。『地下室の手記』は分裂症的な文章で、見ていて辛い。だが秋山の魂を保つために必要なノートだったのだろう。それが出版され、後世の私の目に触れるとはおくびにも考えなかっただろうが。
もちろん、私がつけていた日記も、自分のためにしかつけていていなかった。ベースは変わっておらず、このブログも、湘南移住記も、基本的には自分のためでしかない。
今やもう、日記に代わることが、Instagramなり Twitterなり、ほとんどの人がSNSでしていることだ。自分の日常を表現している。それを見て楽しむ。
私もブログを作っていて、楽しくて仕方がない。Zineやインディーマガジンを1人でつくっているつもりで、写真を撮り、レイアウトを詰め、文章を書き続ける。自分がいいと思った人や場所を紹介する。いろんな人を巻き込んで発展する。街を歩くことでさえ表現になる。すると、感覚が拡大していく。
日記をつけていて、効果があると思うのは、自己暗示作用があること。例えば、仕事で失敗があり、「次はこうしよう」と書いておくと、翌日には心が切り替わっている。書くことは放出で、自分と他人が変わるきっかけでもある。
さいきん、テーマをフリースタイルに書いていて、同じことを書いてる場合が多い。まだ自分の言語化されてない経験や感覚を文章にしていこう。多角的に自分の心を見よう。
私は言葉が好きだ。文章を書くことが好き。みなさんとの縁もできるし、これからもいい文章を書けるよう楽しんでいく。