music resoat : MF Doom

前回のMadlibに引き続き、MF Doomと9th Wonderについてご紹介。

MF Doomは2000年代アンダーグラウンドヒップホップの重要人物。Madlibとのコラボレーションアルバム『Madvillainy』はヒップホップの歴史においても重要な作品だ。

90年代初頭にKMDというグループで活動開始。私は『Peachfuzz』のレコードを持っていた。ピーチフィズを片手に、女性を口説くイントロから始まるお洒落な曲。初期リップスライムにも通じている。

だが、メンバーであり実弟であったDJが、車中にて襲撃、殺害される。KMDは解散する。音楽活動はせず、マンハッタンでホームレスに近い状態で生活していた。90年代終わりに突如ソロアルバムをリリースし、アメコミに出てからキャラの仮面をかぶり、復活した。

MF Doomは生涯、アメリカの市民権を獲得することが出来なかった。それは彼がジンバブエ人の父と、トリニダード・トバゴ人の母を持ち、ロンドンで生まれた移民だったからだ。人生の後半はアメリカに入国拒否をされ、ロンドンで生活していた。トラップ発祥の地となるアトランタにも住んだことがある。


私が高3の頃。インターネットを駆使して、アメリカのラジオを聴いたり、amazonで輸入盤を手に入れていた。日本のヒップホップをよく聴いていたが、次第に言葉ではなく、インストが好きということに気づいてきた。Winampというソフトを使い、『Smoothhiphop.com』という、アンダーグラウンドに特化したラジオ局の放送を聴き始めていた。Nasもウータンも聴いてないが、当時の最新のアンダーグラウンドヒップホップをリアルタイムで体感していたのは経験として大きい。

着物のハルカリが表紙の『remix』誌の2003年まとめ号。そこにKing Geedorah名義のアルバムが年間ベストにランクインされていた。同年には、NujabesとDJ Mitsu The Beatsのファーストアルバムも軒を連ねている。2003年はメロウなアンダーグラウンドヒップホップの転換期であった年だろう。ジャケもよかったし、メロウであるというコメントが気になり、CDを探したが見つからなかった。

そして、見つけたのがインスト盤である『Metal fingers』シリーズ。

これはよく聴いた。津山から神戸に移った初めての年。とにかく音楽を聴き漁っていた。伊川谷、大津和のアパートの一室、部屋の配置まで覚えている。伊川谷駅まで1時間半歩いて三ノ宮まで出たものだった。

改めて聴き直すと、ドラムのクセがすごい。スネアを連発するところは、マッドリブに似ている。

ネタのチョイスがすごい。なんでそこループするん?というところをループさせている。マッドリブと違い、大ネタが多い。

だが、雰囲気ぐお洒落だ。その後、隆盛を極めたジャジーヒップホップとは一線を画す、華やかさがある。ディスコ感まあるかな。

トラックの出来にかなり差があるが、いい曲はいい。DillaのDonuts以前のアルバムなので、インストだが3分以上ある曲が収録されている。一曲が1〜2分前後のビートアルバムって、Donutsからなんだな。

サントラ遣いも多い。ビートの色の引き出しが多彩だ。意外とドープなビートが少ない。ドラムの独特の乾いた感じもいい。

聴き直すと、意外とポップセンスがある人だった。

2020年にロンドンにて永眠。アメリカに戻りたかったんだろうか。MF Doomがアメリカに入国出来なかったというのは、自由な国アメリカのイメージらしからぬエピソードだ。実際はそんなものなのだろう。

MF Doomは私にどんな影響を与えたんだろう。現在のローファイヒップホップアーティストとは明らかに違う。個性がとにかく強い。ある一時期、気持ち悪いとさえ思っていたほど。

『Mugwort』は大好きなトラックだった。きらびやかな、はるかな過去を思い出すような。人生の終わりに、逡巡する記憶ひとつひとつがすべて素晴らしかったと肯定できる感覚に陥る。

トラックは簡単な作りだが、その世界に入ることができる。感情もそうだし、心のどこかに触れる。

2020年から、個の時代になった。ここまでの個性をみんな見直す時だ。