湘南移住記 第七十一話 「映画の中」

3年前、はじめて鎌倉を訪れたとき、街全体が物語の中にあるように感じた。住宅街を通る江ノ電。ちかくにジブリから抜けでたような庭の世話しているおばあちゃんが、通りがかりの女の子におはよう、と挨拶をする。絵本のような風景。

土曜、葉山は森戸海岸の〈海の家OASIS〉というイベントに出かけた。いつもより早く仕事が終わって、シャワーだけ浴びて、16時にクロスバイクのたけしと出かけた。

たけしの真の力

森戸海岸までは20キロもある。2回のサイクリングでは1時間半かかっていた。つまり、クロスバイクでの時速は15キロ。もう少し出そうなもの。調べてみると、クロスバイクの平均時速は20キロとある。平均より遅い。

いつもたゆたゆ進んでいた。私は、たけしの力を発揮できていないのではないか。

それが証明されるときが来た。森戸海岸に向かっている途中、横須賀の佐島あたりから、ヘルメットとサングラスの自転車集団に遭遇した。おそらく、私のたけしより高いクラスの自転車に乗っている。こいつらにだけは負けてたまるか、と追走した。

だが、追いつこうとしても、離される離される。一人は上半身が裸のおっさんで、表情が悔しい。

ここで、ある一つのことに気づいた。7段回の切り替えがあるのだが、いつも4から5の、軽い方で走っていた。思い切って1番重い7にまで落とした。

すると、どうだ。たけしがすいすいと進む。思いがけないスピードで車の横を走っているから、怖いくらいだった。たけしは、こんなにも速いのか。潜在能力を引き出すことができた。

秋谷を過ぎる頃に、集団は去っていた。彼らとのドッグレースで、自転車の本当の力に気づくことができた。ありがとうございます。

同じようなことがら人間にもあるかもしれない。土壇場や、窮地に追い込まれると、本人でさえ思いもよらぬ力を出すことがある。火事場の馬鹿力でなくても、私のように、コンフォートゾーン外、慣れない環境にいることで、気づかなかった新しい能力を見つけることもあるだろう。

少なくとも、ここまで見るもの見るものが新しかったら、視野も開けてくる。

すべては映画の中で

森戸海岸に着いた。自転車を留めて浜に出る。ビーチまるごと音を出していると想像していたのだが、静かなものだった。歩いて人が集まっているエリアに近づくと、重低音がだんだんと聴こえてきた。あった。木や竹で組んだ海の家。OASISと書いてある。海岸のマンションから離れた場所に設置してある。運営側の配慮だろう。

無料と聞いていたが、入場料は1000円だった。それでも内容的には安い。なぜならこの日は、沖野修也率いるRoomのDJたちが回すからだ。

沖野修也は、Kyoto Jazz Massiveのメンバーで、世界的なクラブジャズDJ。The Roomは彼がプロデュースしている渋谷の老舗クラブだ。

クラブジャズとは、もう死語だろうか。2000年台初頭から、クラブミュージックにジャズの要素を混ぜ合わせた音楽で、大文字のJAZZとは違う。当時はnu jazzという呼ばれ方をしていて、高校生の私は、輸入版のコンピを取り寄せていた。

神戸でもクラブジャズのイベントで遊んだ事がなかった。楽しみにして入場する。入口で、IPAのグースというクラフトビールを飲んだ。うまい。汗をかいて疲れた体に、海辺で飲むビールは沁みる。

ひょうたんのようなスピーカーがいくつも置かれていて楽しかった。ひとつひとつに独特の柄が描かれていた。音楽を鳴らすものと同時に、アートだった。

白い帽子を被った男性のDJがPharcyde のRunnin’をプレイした。ファーサイドは90年台の西海岸を代表するヒップホップグループで、この曲は故J DILLAプロデュースの代表作品にも数えられる。

幾度となく、クラブで、家で聴いてきたが、ビーチで聴くと、いままでと違った意味合いがあった。ロサンゼルスで産まれた曲は、海で聴くために作られているということ。

ランニンをかけたDJには不覚にもやられた。選曲とつなぎがよくて、感動してしまった。いいDJに久しぶりに巡り会えた気がする。

日が暮れ出した。海の家を出て、砂浜を散策してみる。家族連れが多いようだった。日が落ちても、子供たちは海で遊んでいた。恋人たちが夕日を眺めている。友人たちが、言葉も交わさず、まどろいんでいる。話す必要もないほど、空と海が美しいからだった。

映画のセットの中にいるような錯覚を覚える。こんなことがあるのか。こんなにも美しい風景があったなんて、知らなかった。去年末からの相続の顛末も、一応終わりを迎えようとしている。たくさんのことがあったが、たくさんの人に助けられた。

心に澱む悔しさのようなものが、この風景で一掃されたようだった。様々な因果が重なって、今、私は葉山の海岸にいる。

また珈琲屋をはじめ、カフェをはじめ、会社をはじめ、日本各地に拠点をつくって…と、目標の目白押し。まず、珈琲でプロになることが、社会に認められる一つの基盤になるだろう。

海の家に戻った。DJが、ちょうど沖野修也に変わったところだった。沖野修也は音量を微妙に調節していて、ミックスはあまりしていなかった。堂に入った様子で、淡々と皿を回す。

渋谷の古本屋でFaderのバックナンバーを買い求めて、DJ Krushのインタビューを読んだ。DJ Krush でさえあっても、自分で合格点を出せれるプレイングは年に数回だそうだ。三角印の日もあるし、駄目な日もある。世界中を飛び回ってDJをする人でも、それを認めて、日々厳しく仕事に取り組んでいく生き方、姿勢は、見習うものがある。

沖野修也のDJでは、多くの人が踊っていた。外国人もいる。コロナ渦で、政府が納得のいかない規制を出している時代でも、こんなに美しい光景があるのだ。

津山ではまず見れない。葉山のひとたちが、文化的に成熟しているからだろう。

今日はどうも特別な日だった。帰り道、半月に照らされる夜の海も、うっとりするシークエンスだった。