湘南移住記 第七十話 「東京珈琲奇譚」

もう一つの仕事は来週の火曜日から始まる。その前に、東京にも行こうと思い立った。

2ヶ月前に東京に来た際、中目黒駅に入っている、蔦屋書店でnuunaというドイツ製のノートが置いていて、デザインがやくて気になっていた。ゲームの攻略本のような厚さもちょうどいい。ネットでも購入できたが、本屋さんで直接買い求めたかった。

書いたことは実現する

3年前から、A5の小さな冊子に、カフェノートをつけていた。訪れたカフェを絵に描いて、いい点を見つける。建築士が建築物をデッサンするように。絵に描くことで、記憶と体に取り込む。

最初のページには、神戸六甲の喫茶店のことがつけてあった。そこから、神戸、大阪で巡ったカフェ。鎌倉、尾道など旅の記録も取った。まだ店を開ける前のメニューの草案や、売上の目標、ECの事業展開の構想も書いてある。

アイデアはシナプスの火花に過ぎ去ってしまうので、その場で記録しておいた方がいい。こういったメモは必ず役に立つ。

例えば、六甲の〈Tanto Table〉で、カカオのテリーヌを頼んだことがある。食感のいいチョコレート生地にピンクペッパーとベリーソースがかかっていて、とても上品な一皿だった。

カカオの食感をそのまま残したアイデアが斬新だった。メモを開いた時に思い出して、hatisで再現しようとした。

不思議に、紙に書いたことは実現する。店を開く前から多拠点生活は考えていて、そのためにECでこれだけ売り上げて、実店舗でこれだけ売り上げて…と数字目標も立てていた。

実際に店を開いて、その数字を達成するのは大変だったが、1年半もすると徐々に近づいた。そして、今、多拠点生活をしようとしている。

数字だけ語る人間は薄っぺらい人が多く、どうにも信用できないが、生活していく上での一つの指標にはなる。そのための、マスタープランノート。

東京の線路図わからん

朝食にチーズマカロニをしっかり摂って、出発。バスで三崎口駅へ出て、そこから横浜へ。中目黒駅に行きたいので、京急ではなく他の線へ乗り継ぐ。京急は中目黒方面ではなく品川の泉岳寺で止まる。

ところが、横浜の京急構内で乗り換えることができると思っていたが、ちがっていた。そのシステムがわからず、そのまま品川まで向かった。各駅停車に乗り、青物横丁駅で降りた。徒歩で東急大井町駅まで向かい、大岡山駅経由で目黒駅に辿り着いた。

後で判明したが、単純に品川から環状線で渋谷まで出た方が早かった。東京の乗り換え事情がよくつかめていない。神戸は阪急、JR、阪神とシンプルなのに。

雅叙園

目黒に行ったのは目的があった。女将は目黒の〈雅叙園〉というホテルで結婚式を挙げることが夢だ。女将がまだ誰とも付き合ったことのないシングル時代、彼氏もいないのに雅叙園に連絡して結婚式の資料を取り寄せたらしい。

そこまで夢見るのなら、人生は一度きりだし、結婚式は雅叙園でやることに決めた。式にかかる費用は200万円。普通に働いていても貯めるのに時間がかかる額だ。商売を成功させるしかない。イメージを具現化するために、目に焼き付けておくことにした。

実際に見てみると、大企業のオフィスのような、都会的な建物だった。津山のホテルで働いたことがあるが、比べものにならないくらい洗練されている。東京でもトップの、一流ホテルだろう。ここで式を挙げたら、いい人生になるだろうなあ。

女将にスカイプで中継したが、ハードル高いなと言ってしまった。いや、やろう。決めた。生涯は一度。どうせならやってしまおう。

店構えの自信

目黒から山の手通りを歩き、中目黒まで。この道は2回目なので慣れたものだった。途中、カセットテープを売る〈walts〉へ寄る。ここはほんとに音がよく、アンビエントを流していたが、得体の知れない雲に肉体が持っていかれるような感覚になった。音響は奥が深い。

前回、女子で満席のカレー屋さんがあり、東京のカレーを見ておこうとしたが、やはり満席で入れなかった。

山の手通りから逸れて、家具屋のある通りにハンバーガーショップがあり、引き寄せられた。

チェダーチーズバーガー。バンズがボソボソしていたが、食べ応えがあった。昼時だったが、私の他にはだれもいない。食べ終えた後、店主さんが、味はどうでしたか?と聞いてきた。

これは私も店でよくやっていたが、聞いてはいけない。自分が出しているものに自信がないから、聞いてしまう。現時点での自分のベストをしっかり構築してから出さなければいけない。店主がそうだと、店構えに自信がなくなり、人がこない。私も気をつけなければいけない。それは本当にうまいかどうか以前の問題だ。

ともあれ、目黒でトラップの曲がかかってる店でハンバーガーを食べるのは、東京を感じた。

店主さんは藤沢の方だった。岡山の方ともつながりがあるらしい。よさそうな方だったので、また行くかもしれない。ご縁。壁の大きなマイク・タイソンのポスターが印象的だった。

浸る

新緑の候にも訪れた、〈epulor〉に。レコードがかかるカフェ。基本、スタッフさんがら一人で回しているが、前回訪れた時の別の方だった。コールドブリューのアイスコーヒーを注文。小さいチョコレートがついてくる。

この店も音がいい。Tannoyのスピーカーに、真空管アンプをつかっている。waltzは心を持っていかれるが、epulorは明るい音。しばし、珈琲を啜りながら、音楽に耳を傾けていた。

hatisで、Sportfyを使って浴びるように音楽を聴いていた。おそらく人生で1番、音楽を聴いていただろう。しかし音楽だけに耳を澄ますことはなかったかもしれない。レコードにその力がある。媒介が重要だ。

カウンターでカップルが色めき立っている一方、カッターシャツを着た眼鏡の男性が外を眺めていた。店のマナーがいい。そうだよなあ、喫茶店って、写真を撮られるものだけじゃなくて、本来こういう時間のためにあるものだよな、と改めて認識する。

仕事の途中、この人は心をぽっかりさせる時間を持ちにきたのだ。目には見えないし、数字にも出ないが、喫茶店の大事な仕事。

この日かかっていたレコードは、アンディ・シャウフというカナダのシンガーソングライターのLPだった。ある一夜のパーティーを、様々な登場人物の目線から語る群像劇のようなアルバム。聴いていると、今までのことが報われて許されるように思えた。レコードはほぼ手放してしまったが、もう一度集めてみようか。

epulorを出て、中目黒の蔦屋書店へ。2ヶ月前のnuunaの平積みは終わっており、売れ残ったノートが棚に並べられていた。欲しいと思った種類のものは完売していた。別の、マスタープランと書かれたノートを買い求めたが、一冊しかなく売れないと言われた。代わりに夜空の星のようなノートにした。嬉しい。

代官山の旅

メールで、女将に初台の〈GP Coffee Roaster〉という、深煎り専門店を教えてもらった。世田谷の〈バレアリック飲食店〉に行こうとしたが、ハンバーガーで腹一杯だったので辞めた。中目黒から初台まで歩いて向かう。

中目黒から新宿まで電車で出た方がよかった。2時間は歩いた。代官山のあたりを歩くのは楽しかったが。

途中、路地裏に怪しげな店をみかけた。二人組の男性が入っていくのを見て、気づいた。

これは確か、ネットの記事で見た泊まれる雑貨屋だ。ホステルとショップが一体になっている。カセットテープやTシャツ、CBDのガムやヘンプグッズも販売していた。

途中、代官山の蔦屋書店に寄る。アートブックの取り揃えもよく、雑誌のバックナンバーも置いてある。ディスプレイにも工夫があった。インスピレーションが沸きそうな店。こういう本屋さんが津山にも作ろう。

代々木公園を北上する。途中、5年ぶりの〈フグレン〉に寄った。喉が乾いていたので、テイクアウトでコールドブリューを頼んだ。ペルー。ヘーゼルナッツ感、クセがある。アイスだと風味がわかりづらい。すこし進むと〈Little Nap Coffee〉があった。珈琲は頼まなかったが、白人の小さな女の子の双子がいて、かわいらしかった。外国人が寄る店のようだ。

やっと着いた

汗だくになり、〈GP Coffee Roaster〉にたどり着く。初台の不動商店街にある。住所は渋谷区なのだが、時代から丸ごと取り残されたような商店街だった。

〈GP Coffee Roaster〉は商店街の一本外れた露地にある。店内は狭いがJBLのスピーカーが設置され、ソウルが流れている。ティーシャツやスケートボードが飾られてある。

抽出家の瀬戸さんにオススメを聞き、イエメン・モカタマリをネルドリップで頼んだ。ネルだが、苦味が後を引かない技術が光っていた。

瀬戸さんに東京の珈琲事情を教えてもらう。コロナ渦で空き店舗が増え、カフェやコーヒーショップが増えたらしい。いいことだ。飽和しているのか、抽出も焙煎も黄金比のレシピが出来上がっていて、飽和しているらしい。人口比として仕方がない現状だが、津山の7歩先は行かれている。ステージが違う。

レコードをかける〈月光茶房〉や、辻堂の〈27 Coffee Roaster〉など、いい店を教えてもらった。こんどいってみよう。

帰りに新宿駅で300円に割引しているテイクアウト弁当を買った。中身はカツ。買ったら200円になっていた。帰る頃に食べたら、カツはぐちゃぐちゃで、すこし酸っぱくなっていた。

電車はラッシュに出くわす。東京でも道を歩いたらそんなに接触しないから、電車で感染するのだろう。もっと言うと、東京や大阪など大都市がある限り感染の可能性はなくならない。緊急事態宣言下だったが、人手は多かった。

しかし、東京は楽しいがくたびれる。帰りの電車で酔ってしまい、大変だった。

これからは東京の珈琲パーソンたちとつながっていくことが大事になる。私の得意分野だ。そのつながりを岡山まで持ち込む。私しかできない仕事だ。たのしもう。