湘南移住記 第五十九話 「みんなのきもち」

出発は28日にした。契約金はほぼかからないという話だったが、前家賃と事業用の家賃保証、猫を飼うので敷金が発生して、結局15万ほどかかった。それでも、仲介業者をかますと30万はかかるので、安く済んだ。

携帯を復活するのにも10万円かかった。以前、ソフトバンクを使っていたのだが、2015年に滞納していた料金があり、本体代もローンがきかない。払わないと前に進めない。乗りかかった船。試されていると思ってすべて一括で払った。津山エフエムでやっていたラジオ番組の料金など支払いもすると、手元にほぼお金は残らなかった。

猫の手術代もあるし、余裕ももって生活をスタートするつもりが、めちゃくちゃギリギリになってしまった。7月末までに、家賃保証と8月分の家賃と合わせて9万円を用意しなければならない。

とはいえ、時間は1ヶ月ある。フルで働けば作れないお金ではない。ただ、すぐ現金化する必要があるので、日払いの仕事に限定される。三浦市内で2つ、目星をつけて、連絡しておいた。幸い、こちらは時給が高い。横須賀〜横浜なら仕事の数も多い。

給料も低く、仕事も少なかった津山での大変さを思えばなんてことはない。

丹後山アパートメント

やっと出発することになり、吉田が丹後山アパートメントで送別会を開いてくれた。女将もひさしぶりに丹後山アパートメントにいく。

1年半前、丹後山に行ったあと、付き合って初の大喧嘩をして、女将は丹後山アパートメントを敬遠していた。私も毎日のように通っていたが、店を開いてからはあまり行けていなかった。

急な招集にもかかわらず、いつものメンバーが集まってくれた。吉田一家、内藤さん、カメラマンの尾高さん、つばさくん、ナルちゃん。

たこ焼きパーティーをした。たこ焼きにチーズや餅を入れてくれた。スーパーでかってきたチキンカツもあった。

帰り際、吉田が餞別をくれた。吉田もそんなに余裕があるわけではないのに。とてもありがたい。

つばさくんも、預けていた自転車を直していた。パンクしたタイヤを直してくれた。下手したらホイールごと交換してくれたのかもしれない。ライトもつけてくれていた。お金もかかってるはずだ。つばさくんはいつも通りの笑顔で、自転車(タケシと名前をつけている)を引き渡してくれた。頭が下がる思いだった。

丹後山アパートメントは、津山に帰ってきて、まず私を受け入れてくれた。それはとても幸運だった。多くの出会いがあり、私を変えてくれた。ありがとう。

女将の事情もあいまって、津山と往復することになったので、これでお別れになったわけではない。実際、これて最後ではないだろうなと感じた。去るときも、いってきます、という心持ちになった。

みんなのきもち

翌日の夕方。家に哲学家の森内夫妻が訪ねてきてくれた。妻のゆっこさんには店で使っていた珈琲茶碗の補修を頼んでいて、ちょうど修理が終わったので持ってきてくれた。一年がかりの大変な仕事になった。金継ぎをして、珈琲茶碗の格が上がったようだった。この珈琲茶碗も、森内さんが開店祝いにプレゼントしてくれたもの。

森内さんは中学時代の先輩。ゆっこさんもportで一緒に働いて、いつも話を聞いてくれていた。私は長男だったので、お兄さんやお姉さんのような存在に感じていたのかもしれない。森内さんは哲学講座を始める際、私が背中を押してくれた、と言ってくれた。そうだったっけ。

森内さんも投資だといって、餞別をくれた。お金で愛を表現できることを知った。吉田と森内さんから頂いたお金は特別だ。助け合う。分け合う。

相続で、お金についての嫌な面を見た後に、人間の素晴らしい一面を見れた。だから今度は、私も手を差し伸べられるようになる。私が関わってきた人は、人間として優しく、強いということ。ありがとうございます。

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