音楽の旅③ 『Dragon Ash』

YouTubeで、呂布カルマがDragon Ashの質問に答えている動画を見た。呂布カルマが答えているように、kJは英雄だった。世間的にはかなり流行っていたが、津山で、同じ学年で聴いている人は少なかったが。とにかくかっこよかった。

中学2年生。獅子座の友達、西山くんの家にいってドカポン321かダビスタをするのが慣習になっていた。南小の不良グループにパシリ的な扱いで属していたが、中学でバスケ部になり、あまり関わらなくなっていた。自分の世界が構築され始めたからだろう。そんな時期、西山くんの部屋で、はじめてDragon Ashを聴いたのだった。

お笑いトリオ、ジェラードンが、クラスの陰キャが学園祭でDragon Ashのディープインパクトをアカペラで歌うというコントをしていた。女将が見つけたのだが、元曲を教えるとさらに笑っていた。

西山くんのラジカセで聴いた『Deep Impact』が文字通り、衝撃的だった。なんだこれは。ラップというのを初めて聴いた。言葉にできない驚きだった。そのまま帰りに津山に一つだけあるTSUTAYAに行って、Deep Impactのシングルと当時コナンのED曲を担当していたルーマニアモンテビデオのアルバムを買った。ルーマニアモンテビデオのアルバムは結局あまり聴かなかった。理解できなかった。

これが人生ではじめて、自分の意思で買ったCDだった。CDのレンタルコーナーと購入コーナーのレジを間違えて、ブザーが鳴ってビビった。CDの購入は、中学生になって、月の小遣いを3000円にアップしてもらっていたので、できた行為だった。つまり、私の人生の形成に必要だった音楽の出会いは、西山くんと小遣いをくれていたおばあちゃんのおかげということになる。ありがとう、西山くん。天国のおばあちゃん。

Dragon Ashは、私に革命をもたらしてくれた。弟が津山口の町内会であてたコンポを奪い、中二の頃に作ってみらった自室に籠って、よく聴いた。CDが5枚入って、自動的に切り替わるオートチェンジャーだった。すりきれるまで聴いた。Dragon Ashの過去のリリースも聴いた。まだ3階があったころのイズミのCD屋で、Gratful Daysのシングル盤を買った。水色のバックに、流れるような銀文字のジャケットがオシャレだった。今では、なかなか見当たらないのではないか。

なぜDragon Ashを聴いていたのか。kJのつくる音楽に、悲しみがあったからだった。騒がしいロックが苦手だった。(レッチリはかっこよかった)。人生で主として聴いていたブラックミュージックも、根底に黒人の悲壮な搾取の歴史が流れている。音楽は、哀しみが深ければ深いほど、人の心を打つもののようだ。だからこそ、長い間、人間に寄り添ってきたのだろう。バスケ部の最後の試合、市の大会で負けて県大会に行けなかったとき、部屋でSummer TribeのKomorebi mixを泣きながら聴いた。

ジェラードンのコントよろしく、クラスで目立たなかった私が音楽にハマるようになった。その時はまだ、音楽が感情に寄り添ってくれるものだと気づいていなかったが。耳に入ってくる音色がとても心地よかった。

Dragon Ashからの派生で、スケボーキングやリップスライム、ラッパ我リヤ、さんぴん世代のヒップホップアーティストを聴いた。ここらへんになると、津山で聴く人は少ない。みんな大概ミスチルとかゆずとかだったろう。だがあまり、周囲の人が何を聴いているかに興味が持てなかった。音楽でコミュニケーションを取れるが、同時に、個人的なものであっていいというのが私の考えだ。

のちにZeebraから公開処刑でディスられ、失速し、再起してmorrowというという曲を出すまで聴いていた。この時期の、傷を癒すかにようにもがいてる時期の曲も好きだ。Patienceという、儚げな曲がDragon Ashの中でも、1番好きだ。

人は15歳の頃に聴いていた音楽を、ずっと聴き続けるという。私は、『Lily Of Da Vally』というアルバムを1番聴いた。Dragon Ashが最もヒップホップに寄っていた頃。音圧が強いドラム、ボトムに比重を置いた音楽は、ずっと聴き続けている。日本のポップミュージックの多くはバランスが中域に寄っていて、どうも苦手だった。

自分自身もビートを作り始め、ラップをするようになった、ディープインパクトで共演していたラッパ我リヤとも、のちにイベントで一緒になって、打ち上げで飲んだ。神戸で飲み屋で、山田マンさんと石のスピーカーの話をした。中学生のころ、衝撃を受けたアーティストと酒を飲む未来がこようとは、思いもしなかった。

ヒップホップを軸に、たくさんの友達ができ、たくさんの経験をした。

すべては、Dragon Ashからはじまった。

小学生のころ

小学生の頃は、まだあまり音楽に興味を持てなかった。ジャニーズや、テレビに出ているタレントに詳しくないことがコンプレックスだった。情報をよく知っている不良が大人に思えた。私の世代の小学生の頃は、短冊サイズのCDを買っていただろう。私はゲームばかりしていた。大人になり、テレビさえ観なくなったので、余計に詳しくなくなった。テレビの話しかしない人は、つまらなく思えるようになった。だって、こっちが一方的に知っていても、相手はこっちのことを知らん。知っていると勘違いしている他人の離婚の情報がなぜ欲しいのか。いまだによくわからない。なぜ自分の人生と時間に興味が持てないのだろう。

三加くんという世話になっている友達が津山でよく合コンをしていた。初めて合う女性に必ずする質問がこれだ。「似ているって言われる芸能人って誰?」。芸能人を知らないので話についていけない。すると三加くんは決まってからかってくるのでかなりイラっとする。テレビやこ偏ったもん観てるだけ洗脳されるそもそも全くおもんないから見んわい。芸能人も男も女も見分けがつかんし覚えられるか!

カフェにいても、居酒屋にいても、耳に入ってくる話は人間関係のいざこざやテレビの話でお前らどんだけボギャブラリーがないねんと思う。生きててつまんなくないのだろうか。世界には、音楽に限らず、過去にも現在にも、膨大な表現や、楽しみがいくらでもあるというのに。