湘南移住記 第四十七話 「電気止まる」

電気が止まってしまった。財布を落としてキャッシュカードもないのだからお金が引き出せない。女将が電気代を払ってくれていたのだが、何ヶ月か滞納してて、一番古い月の分を払ってなかったみたいだ。いつもは折半。ここ何ヶ月か東京遠征代やら食費を負担していたので、自分から言い出したのでインフラ代を任せていた。しかし、電気が止まった。

これには参った。ものすごく嫌になった。おとどしに父が亡くなり、去年末に祖母が亡くなり、相続問題が発生し、親族とトラブルになり、コロナ禍で店を閉め、仕事がない中やっとお金を貯めて越せるようになった矢先に猫の手術代30万円が必要になり、鎌倉を諦めて三浦の物件を見つけたところで財布を落とし、電気が止まった。もうええわ!と投げやりになりそうだった。

いろいろ当たってみたが消費者金融などでお金を借りるにしても財布の中にあった保険証が必要。保険証は再発行の手続き中でまだ届かない。単発で日払いのバイトはない。しかも今は短期でとってくれるバイトの連絡待ちなのであまり動けない。八方塞がりだ。

弱さ

胃が痛くなってきた。去年の秋、とある人が原因で、ストレスで潰瘍性大腸炎にかかってしまった。その人と会わなくなって痛みは消えた。今年の冬、親族から嫌がらせを受けて、また腸が痛くなってきている。この日も一時は息がしすらくなるほど鳩尾が痛くなった。

女将のせいにした自分もいた。女将と生活が始まってから、お金にまつわる問題、ストレスが増えた。生活費を私が捻出している部分は多かった。

結局それは自分の弱さだった。考えすぎなのだろう。不安が常にあって臓器にまで反応が出ていた。親族の嫌がらせを受けて以来、家で寝ているのも不安だった。ここ何ヶ月かは心から安心して寝た日はない。移住費や猫の手術代、これからの生活費用やお金のことを考えると不安になる。気づかなかったが、どうやら自分はお金のことになると不安を持つようだった。女将と、猫という家族が出来てからかもしれない。一家の長としての責任でもあるが、ストレスを抱え込みすぎるのもよくない。

不安を、女将にぶつけてしまっていた。母にも、そうだった。母には相続に関することや店のことで色々あって、黙っていたから余計にストレスが溜まっていた。自分のフラストレーションの管理がどうしても苦手だ。溜まっていると気づかない。

八方塞がりになった。文字通り頭を抱えていると、女将が、自分の楽器を売って来ると言い出した。女将はずっと吹奏楽をしていて、30万円でクラリネットを持っている。そんな大切なものいいよ、と言いかけた。女将が寂しそうにクラリネットに目を落としたか実際にそういう気持ちになった。だが背に腹は変えられず、止めれなかった。天空の城ラピュタで、パズーがシータを諦める代わりにお金を受け取るシーンがある。あの気持ちがよくわかった。

女将がクラリネットを売りに行っている間、私は家の布団で寝ていた。疲れた、もう。心細さにくるまって猫を眺めていた。30万円あったら、今の問題が全て解決する。私の持ち金と合わせれば猫の手術も移住もスムーズにできる。

女将が帰ってきた。どうだった?と聞いてしまった。不謹慎な期待だった。女将は、無言で首を振った。クラリネットに値段がつかなかったのだ。

2人で布団に倒れた。方針だけ決める。女将がガソリン代に千円残してるので、それを猫の餌代にあてるよう話した。自分たちは数日我慢できる。お米も3キロは残っているし。私が面接した短期バイトも日払い対応をしてくれるので、それまで耐え切ろうと。冷凍庫に残っている鳥の胸肉は猫にやろう。そこから、私は疲れて、痛みを忘れて寝た。

禍転じて縁と成す

起きて夕方。横にいた女将は、ご飯食べようと言ってきた。猫も大事だけど、私たちも食べなきゃ。気を取りなおそうと提案してきてくれた。この一年、女将はあらゆる場面で弱くて、泣いていたが、強くなった。

残った鶏胸肉を使ってチキンカレーを作った。冷蔵庫も止まっているので、肉は早めに火を通さなければならない。2人でも3食分以上に作った。炊飯器も使えないので、店に行って、ご飯を炊いて食べた。夜には、元気が出ていつもの調子に戻っていた。

翌日。女将が午後から仕事なので昼ごはんを店(正確には店の跡)で食べていたら、2人組のお客さんが訪ねてきた。閉店した後も、ネットの情報を頼りに来てくれる方がちらほらいる。ちょうど、珈琲豆を焼いたところだったので、珈琲をお出しした。

楽しかった。東京にも住んだころがある方で、下北沢の話を聞いた。ご縁ができてよかった。お金がないんですと、経緯を話すと、笑ってくれた。シリアスに捉えすぎていたが、今の私のこの状況はどうもおかしいものらしい。珈琲を飲んだあと、お客さんにお代は?と聞かれた。お金を取るつもりはなかったので、投げ銭で、と答える。そうしたら2人で1,000円を出してくれた。

銀天街でやっている金曜喫茶のことを伝えて、お見送りをする。不謹慎だが、女将とガッツポーズをした。人生で一番嬉しい1,000円。珈琲も、褒めてくださった。

そのあと女将が仕事に出て、1人で店をやった。インスタで告知し、私の晩御飯の分のカレーと珈琲を売った。ヨシさんという、ヨガインストラクターの常連さんが来てくれて、1000円売り上げた。良かった。話も面白かった。

先々のことを考えたら不安があるばかり。私は、起こりようがないことを心配して不安になることがある。疑心暗鬼や、被害妄想もよくする。実際に起こってないことで恨んだりする。杞憂なのに。

だから、この状況を楽しむくらいがちょうどいい。電気は人類で一番遅い発明だし、電気がない時代を過ごしている方が長いと、女将は言うようになった。また財布を落としたのも、まだ津山にいろって神様が言ってるんじゃない?とも。

たしかにそうかもしれない。電気が止まって今日のお客さんもご縁ができたわけだし。ニートトーキョーで、RISEのジェシーが自身のスノーボードの怪我が原因で、デフテックの結成につながったという話をしているのを見た。長いスパン、人生という尺度で見ると、財布を落とした小事も、より大きな出来事につながっていくのだろう。そう考えると人生は楽しいものだし、不安になる必要さえない。今日は楽しくて、胃の痛みはなかった。