湘南移住記 第三十九話 『視察②」

 岡山発、新宿行き。出発時刻は22:00。ネットで席を予約し、ファミリーマートで料金を払う。その際、チケットを渡されるのだが、バスに乗り込む時は特に求められない。では、このチケットはなんなのだろう?

乗客車名簿で名前を確認し、言い渡された番号は3A。前から三列目。今回のバスは料金が安い代わりに、トイレなし、四列シートの車両だ。四列シートというのは一般的な高速バスと一緒で、通路を挟んで2席ずつ左右に椅子があるタイプである。

バスの中はまだ人が少ない。LEDのランプが煌々しく光っている。もしかしたら、搭乗する人が少ないから値段が安かったのかもしれない。向かって左側の三列目、窓側の席に座る。荷物は、布のエコバックひとつにすべて収まった。替えの下着と本が2冊。光嶋裕介の『これからの建築』と須賀敦子の『ヴェネチアの宿』。リルケの『マルテの手記』も連れていこうとしたが、なんとなくやめた。今回は住む家を決める視察なので、書物を携えての旅というわけにはいかなかった。

「あの、そこ僕の席なんですけど」

びっくりした。マッシュカットの若者の男性に声を掛けられた。どうやら彼は私の隣席を指定されたようで、私が席を間違えているようだった。3Aは窓側ではなく、通路側の席だった。すいません、と謝って、若者に席を譲った。私は本来の通路側の席に座る。

しかし、狭い。気がつけばバス内の席は埋まっていた。若い男性の乗客が多い。両隣の席が空いている所もあった。移ってやろうと思ったが、次の姫路で乗る客の席かもしれないので、姫路まで様子を見ることにした。

私の席から通路を隔てて、右側にはジャージの若い男性が2人座っていた。断片的に話を聞いていたが、仕事、5月いっぱいまでなんよな。一日4時間までしか働いちゃいけん、とか株の話をしている。この人は、どう生計を立てている人なのだろうか。株をメインに稼いでいて、数時間だけのバイトしているのかもしれない。

定刻が来た。出発。運転席のカーテンを閉められ消灯となり、日本語、英語、中国語の順番で録音されたアナウンスが放送される。

この便はトイレがない代わりに、2時間ごとにインターで休憩がある。すこしお腹を下していたのでトイレが心配だったが、緊急の時は乗務員にお声かけください、とアナウンスがあったので安心した。カーテンで締め切られた車内は気味が悪く、妙な不安感に駆られる。コンラッドの『闇の奥』の質感のような、影のある洞窟を思わせた。もしかしてこのまま知らないとこに連れていかれるのではないだろうか。

私の不安感をよそに、バスは新宿へ向かう。寝れない対策のため、事前にSpotifyで、いくつかのアンビエントアルバムをダウンロードしていた。Spacecraftというアーティストの音源が良かった。しかし、音世界に没入していると案外寝れない。結局、イヤホンをはずして、心の中で熟睡する、熟睡すると唱えながら寝た。

2時間ごとの休憩には、全部トイレに行った。小さなインターに寄ることが多かった。前回のバスは大きいインターに寄っていたので、休憩が楽しかった。こういうところにも運転者のセンスが問われる。最後の休憩で、海老名のインターが1番大きかった。海老名のインターで降りると、運転者にトイレは後方ですと、建物とは反対の方向に案内された。そちらは駐車場側にあるトイレで車の往来が激しく、あぶない。遠くても建物側にトイレはあったろうから、そちらを案内して欲しかった。