湘南移住記 第二十八話 「コーヒーを通じて」

鶴岡八幡宮は源頼朝が打倒平家を掲げ、鎌倉幕府を立ち上げ、行政の中心地となった場所である。1180年に頼朝が鎌倉入りして以降、いくつか焼失を乗り越え、今も健在だ。参道の若宮大路は南北に伸び、街の軸になっている。

姫路城にしろ、津山城にしろ、城の以南に街路を築くのは、統治しやすいからだろうか。いつも城から見えてますよ、と住民への無言の圧力にも監視にもなる。複数の日本仏教が興った鎌倉時代、たくさんの不安条件を街下に抱えていた。江戸時代などに比べ政情が不安定だった当時、鎌倉の住民達は、どんな気持ちで過ごしていたのだろうか。

歩いていると、成人式の前撮りなのか、若い女性が着物を着て撮影していた。御成通りと同じく、今日はまだ人通りが少ない。若宮大路を挟んで向かって右側の道を女将と歩いていた。

歩き疲れたし、そろそろお茶したいね、と話して、グーグルマップを開くと、鶴岡八幡宮の手前のエリア、雪ノ下に〈VERVE COFFEE ROASTERS KAMAKURA〉が営業中だった。行ってみよう。

源頼朝が鎌倉時代の武将、佐々木盛綱に命じさせて、雪見のために山辺の雪を長櫃に保存させた、というエピソードが雪の下の由来だ。お洒落で、詩情のある地名。もちろん、中心地なのでこのエリアの家賃は高い。

コーヒーの

オープンテラスに椅子が置いてあるカフェが見えてきた。ヴァーヴだ。〈VERVE COFFEE ROASTERS〉はカルフォルニアが発祥で、「Farmlevel」を標榜し、第一生産者である農園との連携を目指している。サードウェーブというより〈Blue Bottle Coffee〉以降の流れを汲むインディペンデントコーヒーロースターだ。コロナ禍まっただなかの2020年6月、北鎌倉に焙煎所ができた。海街に作ったのは、カルフォルニアのサーフカルチャーに影響を受けているからか。

入店して、カウンターで注文する。金髪の女性がきびきび働いていた。何にする?と女将に聞く。女将は、迷って、価格が安いチョコチップクッキーにした。遠慮しなくていいのに。私はハンドドリップコーヒーを注文した。エスプレッソに比べて、少し値段が高めだった。数種類の豆から、ケニア・カリミクイを選ぶ。テイスティングノートは、ブラックチェリー、ライム、甘さ。鋭い酸味と甘味を想像する。

ばたばたとしていたので座って待つ。店内を見渡してみると、4,5人の客がいた。コバカバのナチュラルテイストの女性のような格好をしたお母さんがいた。小さな子供を連れてエスプレッソを飲んでいる。ピンクの正円に、緑の葉を散りばめたデザインが壁に描かれていた。入り口側の席には白人のおっちゃんがマックブックに身振り手振りで話している。ズームで会議をしているのか、ユーチューブチャンネルを撮影しているのか。自由でいい。

1000年後の未来に、鎌倉が国籍乱れる観光地になろうとは、頼朝は想像出来なかっただろう。私たちがコーヒーができるのを待っているこの場所は、かつて日本の中枢地であり、数々の政変が起き、名だたる人物が命を落とした。1000年という時間の量は途方もなく、想像すらできない。アメリカがまだ存在すらしなかった時代だ。日本の歴史上重要な出来事がいくつも起こっていた。鎌倉の空気が気持ちいいのは、悲惨な事件が起こっても、その犠牲者の魂を鎮める神社を建ててきたからではないかと、ちらっと想像した。

ねむいわあ、とチョコチップクッキーを頬張る女将。2人で分ける。程よい甘さのチョコチップクッキー。源頼朝が食べてもおいしいと言っただろう。

しばらくしてコーヒーが運ばれてきた。男性の店員が1人増え、キッチンは落ち着いていた。カラフェに抽出した液体を入れサーブしてくれた。かっこいいスタイル。白いカップは、神戸で買った私物に似ていた。

女将も私も珈琲豆を焙煎するので、勉強のため分析して飲む。「んん?」となった。いつも飲んでいる珈琲と、ちょっとちがう。表現の方向性が岡山の〈キノシタショウテン〉さんに似ている。美味しい、けど美味しさの種類が違うと言えばいいのか。慣れ親しんだ珈琲の風味というには違和感があった。

違和感の原因を女将と考えてみる。あるロースターが「外国人は日本人と味覚が違う」とツイートしていて、合点した覚えがある。外国人は酸味が好きだが、日本人のは甘みが好きだ。例えば日本酒。味醂。だから中深煎りが喜ばれる。

私も津山で浅煎りをやってみたけど、酸味そのものが受け入れてもらえず、中深が店で好まれた。日本の最先端をいく〈GLITCH COFFEE & ROASTERS〉も、神保町でははじめ浅煎りが受け入れてもらえなかったと聞く。

だからこれは外国人向けのコーヒーなんだ。アメリカ人が好む珈琲。それはそのまま、今の世界のトレンドとも言える。ここまで違うと、ジャンルが違うようにも思える。

飲み終わって、店を出ようとする時。カウンターの、後からきた男性スタッフに声をかけられた。

「コーヒー、いかがでしたか?」

私たちが頭にはてなマークを浮かべながら、うんうん唸っていたのが気になったのだろう。唸っていたのは、私たちの見聞の狭さゆえだったのだけれど。美味しかったですよ、と答えた。そうですか、よかった。と、それがきっかけで会話が始まった。津山というところで喫茶店をしていて、珈琲豆を焼くんです。私も浅煎りをしようとしてたんですが。とか。ヴァーヴでは豆の個性を引き出すためにほとんど中深であるとか教えてくれた。

「今日はいつもより浅かったかもしれません」

と男性スタッフは言ってくれた。珈琲豆は微妙な焼き加減で風味に大きく影響する。そこがおもしろいところ。

湘南に移住を検討していて、明日、逗子に物件を内見しに行くんですと話すと、男性スタッフの姉が逗子で〈アンドサタデー珈琲店〉をしていると答えてくれた。〈アンドサタデー珈琲店〉は鎌倉のとなり、逗子で土曜日だけしている創業支援のカフェ。ご夫婦でされている。たしかお姉さんと言っていた、はず。

ネットで得た情報が、現地で繋がる感覚はおもしろかった。

ともかく、コーヒーのおかげでまた一つ鎌倉にご縁ができた。嬉しい。頼朝、素晴らしい街を作ってくれてありがとう。引っ越しができたら、またここにコーヒーを飲みに来よう。