湘南移住記 第五話「手本になったカフェたち」

手本になったカフェたち

その後、六甲道の市役所の近くに別の焙煎所ができた。ここもまめやさんと同じくその場で焼いてくれる焙煎所だった。この焙煎所で初めてエチオピアのイルガチェフェをのんだ。いままでの珈琲観を覆す味に驚いた。紅茶みたいな華やかな香りと甘み。大好きな珈琲になった。店を出したらこの豆を出そう。この店のおかげで国によって風味が違うことを理解した。

20代後半からカフェやりたいなという気持ちが芽生え始めていて、関西のカフェを巡った。手網を買ってついに焙煎も始めた。珈琲で感動したのは、京都のエレファントファクトリーコーヒー。関西のカフェ本にほぼ掲載される有名店だ。道が分かりづらく見つけづらかったのを覚えている。大きめのマグに、2粒のレーズン。直感で、煙草を吸う男性のために作られているな、と感じた。店も珈琲も千差万別で、限られた枠で世界観の表現は無限大である。そういう意味ではヒップホップの曲作りにも似ている。古本と珈琲と煙草。ご主人の脳の中にある世界を具現化したお店作りだった。そして、人で賑わっていた。独行珈琲道を地でいくような無骨なご主人だった。珈琲はことさらに美味しかった。いままで飲んだ珈琲より二段階は上だった。その時はまだ細かい風味の分析は出来なかったが、衝撃は覚えている。

もうひとつは、阪急六甲駅近くにある「六珈」さん。割と近所にあったので、休みの日の朝によく行っていた。昼は近所のマダムや神大生でよく込む。店内は無駄な装飾がない。温厚そうなご主人はいつも無地の白シャツを来ていた。ネットで調べてみると、ご主人が店を開く前に柄の入ったシャツを着ていた画像を見たが、それすら違和感があった。この店にたどり着く前にひたすら削ぎ落としたのだと思う。この店にはカウンターがあって、ご主人の手元を見ることができた。珈琲を淹れる秒数を測っていると、ぎろり。普段の温厚そうなご主人からは想像できない、まるで暗殺者のような目つきで見られた。珈琲の鬼がそこにいたのである。私はそこまではいかないが、気持ちはわかるんですよね。たった一杯の珈琲に、自分を乗り移らせるという気持ちで淹れないと、お金を払ってもらった甲斐がないというか。

当時は深江の住宅地にある焙煎所の豆を使っていたみたいだった。ここの珈琲は特別美味しいと言うより、究極の正拳突き!って感じ。珈琲界のレジェンダリー、かの大坊珈琲店さんの大坊さんも引退後に六珈に来て珈琲を淹れていた。どういうご縁なのだろう。

まるまるコピーはできないが、六珈は自分のカフェづくりの指標となっていた。好きだったから。hatisを改装後、白を基調にしたがそれは六珈をイメージしたものだった。コーヒーサーバーでなくビーカーを使うスタイルもそうだった。

鬼になれるかどうか

エレファントファクトリーコーヒーと六珈さんに共通して言えるのは、メニューにフード類がほぼないこと。エレファントファクトリーさんはお酒も扱っていたかもしれないが。六珈さんもモーニングのトーストがあったが、メインはやはり珈琲。お店をやってわかるが、それは客単価が低いことを現す。よっぽど回転させなければならない。珈琲のお客さんは単価が低く、そして長居する。しかしカフェや喫茶店はそれが商売。居心地や過ごした時間が価値になる。お金以上。そして、お金儲けを主たる目的とするカフェには魅力がない。実際、2つのお店は10時間以上は営業していた。ブレていない。やりたいことのみ心血を注いでいる。まさに珈琲の鬼である。振り返って、私も突き詰める余地は充分にあった。まだ全然やれる。世に出れるかどうかはここで突き詰めれるかどうかの差にある。

同じ神戸市灘区では、水道筋商店街の中にあんごさんという水出し珈琲の店があった。私はこの店で初めて水出し珈琲を飲んだことになる。夏しか出ないレアチーズケーキと、シロップで甘くしたアイス水出しコーヒーを頼むのが最高の贅沢だった。レアチーズケーキは店でも出した。作り方は簡単なんだけど、微妙な配分とか、奥が深い。気難しそうなご主人のと気立てのいいママ(通称)のお二人でやっていた。裏路地にあるステキなお店。今は移転されて、元あった場所はカレー屋になったらしい。

王子公園駅を南に10分ほど歩くとまるも喫茶店という昔ながらの自家焙煎の店がある。あんごもまるも喫茶店も歴史が長い店だろうがなぜか神戸のカフェ本には姿を現さない。メディアに取り上げられなくても、スタンスを崩さずやっている名店が神戸には残っていたように思う。

いい喫茶店を見分ける法則が自分の中にはいくつかある。その①、JBLのスピーカーが置いてある。その②、机と椅子がいいものを使っている。この2つは、お客さんの感覚にまで気を配っている、ということだ。音楽は時間芸術なのでいいスピーカーを使うと言うことは心地よさを感覚面まで配慮している。机や椅子もそう。大坊喫茶店の開店時のチラシを見たことあるが、ははあと思った。「神戸の永田良介商店の椅子をご用意しています」という記述があったのだ。実際行ってみると、一脚10万円はした。店に無駄な装飾を施してお金をかけるより、実質にお金をかけるほうがよっぽどいい。hatisではもらいもんばっかでやってたので、選ぶことをしなかったが、ゆっこさんから美容院で使っていた椅子を引き継いだ。カウンターに置いていたが、あれはよかったと思う。ソファーもいいのをもらったのでよかった。次の店をやる時も、その二点には気を配る必要があるだろう。

話は逸れるがカフェのイメージソースは幾つかある。映画の上映会を定期的にするプランは逗子のシネマアミーゴから来ていた。行ったことはないが、映画のをハブに逗子のコミュニケーションの場所になってるみたいで参考にしようとしていた。hatisを開く前、大阪の中津で駅前に住んでいた幼馴染に「映画館作ってや」と言われたんだっけ。津山には映画館がない。駅前にも、徳守神社の近くにもあったのに。映画に特別明るいわけではないけれど、娯楽が少ない津山には必要と感じた。映画見えてハンモックで酒飲めてメシ食えるカフェあったら最強ちゃうと考えていた。

もうひとつは、葉山にあったCavan。ここは一回だけ行った。海辺に白いソファーベッドがあって、DJブースがあるおしゃれの極みみたいなカフェ。足を運ぶと、意外にDIY感が強かった。スケートボードに黒板塗料塗ってメニュー手書きとか。もう形態変わっちゃたので、スケボーゲットしてオマージュしたかったですね。ソファー手に入ったからやめたけど、ソファーベッドも作りたかった。