大学生の頃まで、漫画家になりたいと思っていた。きっかけは高一のころに同級生の皆木くん(という苗字だったかさえいまではいまでは定かではない)に体育の時間、「なあ、夢ってある?」と訊かれたことに端を発する。
私の育った家は男はとりあえず有名大学の経済学科に行っておけ、という謎の指針があった。夢を持つという発想自体が遠いことのように思われた。我が家がとりあえず行っている地元の進学校に落ちてしまい、途方に暮れていた矢先だった。今思えば、これがターニングポイントだったかもしれない。
イチローにしろ本田圭佑にしろ、何かを成し遂げた人物は子供のころから夢を持っている。夢というと大仰なことのようだが30代の今になってみると人生を積極的に生きるために必要なものと理解できるようになった。20代の前半、行きたくもなく卒業したくもなかった偏差値が真ん中あたりの神戸の大学の経済学科を卒業して、なにかをしていいかわからず、元町のうどん屋でバイトをしていた。自分がダメだたと思い込み何もできなくなっていた私は、そこをクビになり津山に戻ることに。戻って地元のホテルをやってみたものの長くは続かなかった。漫画家の夢は諦めていた。
高校のころは現実に向き合うのが嫌でインターネットばかりしていた。チャットで絵を描いたり、ホームページをつくるのが好きだった。進学のときに母親にデザインの専門学校に進みたいと相談したときも、とりあえず4年生大学の経済学科にすすめと回答が返ってくる。とりあえずってなんだったんだろう。神戸での経験は人生かけがえのないものになった。学歴が役に立った覚えはない。単位を取るために奮闘したが講義のないようはまったく覚えていない。これっぽっちも。
それよりも、音楽活動をしたことの出会いから学びが多かった。いいこともあれば、大変な出来事もあった。自分だけではなく周りの近しい人の出来事も。トラブル、トラブル。衝突。金銭の貸し借り。とか逮捕とか…。今はみなさん落ち着いてそれぞれの道を歩んでいる。大学の授業よりもはるかに身になった。
地元のホテルで働くと全然出来なかった。頭がこんがりすぎて何もできない状態が人生の大半。なのでもう諦めて自分の好きなことをやろうと思った。ホテルにはホテルで働きたいという上司がいてよく叱って頂いた。自分のやりたい仕事をしている人とは初めて会ったのかもしれない。誇りを持って働く人の職場にいたのは大きかった。そういう人は仕事の質や量が違う。こういう人になろうと憧れた。そこからデザインをもう一度やろうと決めて岡山のWEBデザイナースクールに通い、もう一度神戸にでる。やってみたものの、EC部門担当でどちらかいうと事務的なことばかりやっていた。食うに困って工事の派遣もやった。
結局、WEBデザイナーにはなれなかった。もう少し早く諦めればよかったのだかその時点で30歳になっていた。何をやってもだめなので死のうかなと考える。高学歴でもないし役に立てないし笑われてばかりだし社会にいる意味がない。少なくとも人生に積極的になることはできなくなっていた。最後に、カフェがやりたかったので実家の倉庫を使って開いてみる。これさえダメだったら消えてもいい。疲れてた。
ふと今津屋橋のたもと、吉井川の河川敷をみると作陽高校サッカー部の生徒が走っている。県外からもわざわざ津山に来ている人も多い。この中から試合に出れるのは少数でほとんどが試合に出ることも叶わない。出たとしても全国大会に行けるとは限らない。それでも彼らは正月から練習をする。河原を走っているのはチャレンジと呼ばれる3軍の生徒たち。吉井川のうつくしい夕ぐれに何を想うのだろう。
M-12019を優勝した無名の漫才師、ミルクボーイはほぼ同年代だった。34歳。やる気をなくしていた時期もあるがここ3年は漫才に集中しその成果が出た。だが成果が出るのはごくわずかで決勝のステージに進める人はすくない。お笑いだけでは食えず、30代で結婚していてもアルバイトする者がほとんど。ぺこぱのボケのほうは、人生を変えたいと思いながら飲食店でのバイトを続けている。
振り返ると、20代はこの道しかないと固執したのがよくなかった。情熱は覚めていたし次に進むのがもっと早くても良かった。夢を諦めるなというが、大事なのは夢を追い続ける姿勢ではないか。そういう生き方をしている人は次の夢がでてくる。道が見える。言い換えると、夢は作れる。今のはFF6の若き城主エドガーの言葉である。
イラストレーター
しらべてみると林青那(https://twitter.com/aonahayasi?s=20)さんの肩書きはイラストレーターだった。夢を叶えて、好きな事で食っている人。しかもインタビューによるとこれからはより自分がやりたい表現に向かっていきたいという。やりたいことを叶え、やりたいことをしている。
絵で食うことはできなかったが2年前に絵の仕事をした。1ヶ月ほぼ拘束で大変なものだった。いままでやったどの仕事よりも過酷だったかもしれない。デザインもフライヤーなどちょくちょくやったが、修正や自信がなさすぎでできなかった。向いてなかったのだろうか。それでも独学でしたデザインの勉強はこれから活きてくる。が、開き直ってもデザイナーやイラストレーターに対するコンプレックスはある。
このポストをみるといい作品をつくっているなとわかります。作品を一枚つくるのに100枚は書いてるらしい。すごい。たしかに自分も絵の仕事をするときそれくらい書いた。
水墨画にもみえる林さんのスタイル。『MONO BOOK』は身近にあるものを描いた作品集です。チーズ、花瓶、バナナなど…。眺めているとじんわりくるいい作品。レコードを描いたトートバッグも気になりました。
私も自分のやりたいことをする。突き詰める。絵も描けなかったけど描く気になれてきた。
さいきんは敗者がかっこよく見えるようになってきた。M-1ラストイヤーのかまいたちの濱家は大会後、ほっとしたと言っていた。道は続く。そして生きる時間は限られている。進まねば。生きねば。